千金甲古墳(乙号)

千金甲古墳(乙號)[指定史蹟]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

熊本駅の西約7km、熊本電気百貫線松尾の西約1km、飽託郡小島町の西北にある権現山の麓からやや上った勝負山と呼ぶ丘陵鞍部に築かれた円形墳です。石室は羨道玄室いずれも板状安山岩の小割石を用い、玄室は長さ幅共約3mで、底面楕円形を呈し、壁は上部に至るにしたがって狭まって穹窿を呈していますが、天井石は取り去られています。玄室奥壁に接近して角閃安山岩からなる障屏があり、奥2枚、左右に各1枚、都合4枚の板石をたてた上に大板石を載せて蓋として一種の石厨子を形成しています。この障屏(石厨子)の4枚の石の内面に線刻にて13個の靱の略描があり、その大多数はそばに弓を添え、同心円7個(的を表したという説があります)、頭椎太刀、鹿角装柄頭太刀と思われるものを刻し、さらに、靱の上部にゴンドラ式の船も刻されています。これらの刻線は朱と緑の二色をもって彩色されています。この古墳の東北に一基、同じく南の麓に近い高城山に一基ある石室古墳には装飾紋様はありません。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
千金甲古墳彫刻

令和に見に行くなら

名称
千金甲古墳(乙号)
かな
せごんこうこふん(おつごう)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
熊本県熊本市西区小島9
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

熊本驛の西約七粁、熊本電氣百貫線松尾の西約一粁、飽託郡小島町の西北にある權現山の麓から稍上つた勝負山と呼ぶ丘陵鞍部に築かれた圓形墳である。石室は羨道玄室何れも板狀安山岩の小割石を用ゐ、玄室は長さ幅共約三米で、底面楕圓形を呈し、壁は上部に至るに從つて狹まりて穹窿を呈して居るが、天井石は取去られて居る。玄室奧壁に接近して角閃安山岩から成る障屏あり、奧二枚、左右に各一枚、都合四枚の板石をたてた上に大板石を載せて蓋となし一種の石厨子を形成して居る。この障屏(石厨子)の四枚の石の內面に線刻にて十三個の靱の略描があり、その大多數は傍に弓を添へ、同心圓七個(的を表はしたと云ふ說がある)、頭椎太刀、鹿角裝柄頭太刀と思はれるものを刻し、尙、靱の上部にゴンドラ式の船も刻されて居る。これ等の刻線は朱と綠の二色を以て彩色せられて居る。この古墳の東北に一基、同じく南方の麓に近い高城山に一基ある石室古墳には裝飾紋樣はない。

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