熊本市

熊本市
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

上熊本、熊本、春竹、水前寺4駅所在地。白川流域から緑川流域におよび、東西13kmあまりにおよび、南北はこれよりも短くて9kmあまりに止まり、面積は約45.5km²です。

この地は加藤清正が築城したところで、細川氏五十四万石の城下として繁栄し、明治10年(1877年)の戦乱によって市街のほとんど全部が烏有に帰しましたが、その後次第に隆盛に向かい、市域は数回拡張し、大正10年(1921年)6月飽託郡の黒髪ほか10町村を、同14年(1925年)出水村を、昭和6年(1931年)6月白坪村を、翌7年(1932年)12月画図村を編入しました。

白川以南は地勢一般に平底ですが、市街は主として河北に連なり、花岡山、荒尾山、天狗山、本妙寺山等はその西に、立田山は東にそびえています。

熊本は県庁、師団司令部等の所在地であるのみならず、教育の中心です。1年の生産額は2,000万円を出入し、昭和7年における約1,900万円の9割は紡織食料品の2業を要部とする工業が占めます。市内で最も繁華な町は新市街です。人口は14万2,000人。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
熊本市
かな
くまもとし
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
熊本県熊本市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

上熊本、熊本、春竹、水前寺四驛所在地。白川流域より綠川流域に及び、東西一三粁餘に及び、南北はこれよりも短くて九粁餘に止まり、面積は約四五方粁半である。

この地は加藤淸正が築城したところで、細川氏五十四萬石の城下として繁榮し、明治十年の戰亂によつて市街の殆ど全部烏有に歸したが、その後次第に隆盛に向ひ、市域は數回擴張し、大正十年六月飽託郡の黑髮外十町村を、同十四年出水村を、昭和六年六月白坪村を、翌七年十二月畫圖村を編入した。

白川以南は地勢一般に平底であるが、市街は主として河北に連り、花岡山、荒尾山、天狗山、本妙寺山等はその西に、立田山は東に聳えて居る。

熊本は縣廳、師團司令部等の所在地であるのみならず、敎育の中心である。一年の生產額は二千萬圓を出入し、昭和七年に於ける約一千九百萬圓の九割は紡織食料品の二業を要部とする工業が占める。市內で最も繁華な町は新市街である。人口十四萬二千。

熊本のみどころ