藤崎八旛宮

藤崎八旛宮[國幣小社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

上熊本駅の東南2.5km、市内井川淵町にあり、電車および自動車の便があります。祭神は応神天皇を主神(一ノ宮)とし、右側に住吉大神(二ノ宮)左側に神功皇后(三ノ宮)を祀ります。伝えて平安時代の承平5年(935年)10月平将門追討の勅願によって山城石清水八幡宮を肥後飽田郡宮崎庄茶臼山に勧請したのが創りであるといい、古来上下の崇敬篤く、鎮護国家の霊社でした。社殿はしばしば天変変災を経てたびたび改築されましたが、江戸時代前期の寛永14年(1637年)細川忠利が社殿を修理し、以来13年ごとに造営することとしました。もと藤崎に鎮座し、熊本城の鎮守でしたが、明治10年(1877年)西南戦争の際に、城兵が一部社殿を守備して薩軍に対したため兵火に罹り、同17年(1884年)現在の地に造営遷座しました。

例祭は9月15日。

  • 宝物
  • 僧形八幡神坐像[国宝] 木造 一体 高さ98cm、彩色は剥脱していますが、鎌倉末期正和年間の作です。
  • 女神坐像[国宝] 木造 一体 極彩色、胎内に応永廿五年十月二日鏡秀(花押)の墨書銘があります。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
藤崎八旛宮

令和に見に行くなら

名称
藤崎八旛宮
かな
ふじさきはちまんぐう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
熊本県熊本市中央区井川淵町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

上熊本驛の東南二粁半、市內井川淵町にあり、電車及自動車の便がある。祭神應神天皇を主神(一ノ宮)とし、右側に住吉大神(二ノ宮)左側に神功皇后(三ノ宮)を祀る。傳へて承平五年十月平將門追討の敕願によりて山城石淸水八幡宮を肥後飽田郡宮崎庄茶臼山に勸請したのが創りであると云ひ、古來上下の崇敬篤く、鎭護國家の靈社であつた。社殿は屢々天變變災を經て度々改築せられたが、寬永十四年細川忠利社殿を修理し、爾來十三年每に造營するを例とした。もと藤崎に鎭座し、熊本城の鎭守であつたが、明治十年西南役の際に、城兵の一部社殿を守備して薩軍に對したため兵燹に罹り、同十七年現在の地に造營遷座した。

例祭九月十五日。

  • 寶物
  • 僧形八幡神坐像[國寶] 木造 一軀 高さ二尺六寸、彩色は剥脫して居るが、鐮倉末期正和年閒の作である。
  • 女神坐像[國寶] 木造 一軀 極彩色、胎內に應永廿五年十月二日鏡秀(花押)の墨書銘がある。

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