吉備津神社

吉備津神社[官幣中社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

中国鉄道吉備津駅の東300m、真金村吉備中山の山麓にあり、岡山駅および広瀬駅からは自動車の便があります。

延喜の制には名神大社に列し、後に備前・備中・備後三国の一宮でした。祭神大吉備津彦命は孝霊天皇の皇子で、崇神天皇の御世に四道将軍の一人としてこの地方を平定された方で子孫世々吉備国造となり、族類この地方に広がりました。社後は中山の松樹蒼々として千歳の緑をこめ、山頂には瓢形古墳があり、祭神の御墓と伝えています。なお神社の境内には古歌で名高い細谷川の名勝があります。例祭10月18日。

北随身門[国宝] 三間一戸、単層入母屋造の八脚門にして屋根は檜皮葺、室町時代の建築で安定荘重の姿態を現しています。

本殿および拝殿[国宝] 北随身門を入り石段を登って達します。現在の本殿および拝殿は足利義満が勅を奉じて再興に着手し室町時代の応永8年(1401年)仮殿遷宮を行い、爾後20余年を費して応永32年(1425年)に落成したものです。本殿は桁行正面五間、後面七間、梁間八間の大殿舎です。屋根は檜皮葺、比翼入母屋造で吉備津造とも称し、前後に2棟の入母屋破風を並行させさらに中央縦の一棟をもって両棟を連結させて工字形とし、千木勝男木を上げています。この奇抜な屋根を持つ建物が巨大な亀腹の上に立っているのは壮観です。そして本殿を囲って高欄付廻縁が付けられ縁下に縁束なく挿肘木で支えています。本殿外部の柱間には多くの連子窓を用い仏殿建築の様式を加味し、内部の構造はさらに多くの新機軸を出し、中央にある内陣、内内陣は三間社流造に相当しその周囲に入側を付け、これがすなわち中陣にあたるものでこれを椽の間と称し、その前面に向邦の間を付け、これを朱の壇と称し、さらに全体を囲って入側を付けて外陣としています。そして外陣から中陣、内陣、内々陣と進むにしたがい、床と天井を高くして森厳の度を加えているなど、各種の斬新な手法を案出し、柱および長押上等すべて朱塗とし、扉には金蒔絵で山水画を描き、非常に華麗な装飾を施しています。かくて建築上縦横にその手腕を発揮しながら、しかもよく雄大荘重の感を現しています。

拝殿は本殿の前面に付加されて本殿と一屋を構成し、重層ながら下層は上層の裳層とし、上層の屋根は本殿の屋根の前面に連続し、上層檜皮葺三重垂木、下層本瓦葺一重垂木、内部総床張化粧屋根裏で、構造形式非常に雄大、意匠奇抜にしてほかに比例のないものです。

南随身門[国宝] 本殿の左側から南に通じる長い廻廊の中央に建ち、屋根入母屋造、本瓦葺朱塗の八脚門です。正平12年(1357年)の建立となり、室町初期の手法を示した荘重な姿の門です。

竈殿 廻廊の西側に連接して建っています。慶長年間安原備中守草壁真人知種の再建と伝え、神秘的な御竈鳴神事があります。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
吉備津神社 吉備津神社境内平面図

令和に見に行くなら

名称
吉備津神社
かな
きびつじんじゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
岡山県岡山市北区吉備津931
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

中國鐵道吉備津驛の東三〇〇米、眞金村吉備中山の山麓にあり、岡山驛及廣瀨驛からは自動車の便がある。

當社は延喜の制には名神大社に列し、後、備前、備中備後三國の一宮であつた。祭神大吉備津彥命は孝靈天皇の皇子で、崇神天皇の御世に四道將軍の一人としてこの地方を平定された方で子孫世々吉備國造となり、族類この地方に蕃衍した。社後は中山の松樹蒼々として千歲の綠をこめ、山頂には瓢形古墳があり、祭神の御墓と傳へて居る。尙神社の境內には古歌で名高い細谷川の名勝がある。例祭十月十八日。

北隨身門[國寶] 三閒一戶、單層入母屋造の八脚門にして屋根は檜皮葺、室町時代の建築で安定莊重の姿態を現はして居る。

本殿及拜殿[國寶] 北隨身門を入り石段を登つて達する。今の本殿及拜殿は足利義滿が敕を奉じて再興に着手し應永八年假殿遷宮を行ひ、爾後二十餘年を費して應永三十二年に落成したものである。本殿は桁行正面五閒、後面七閒、梁閒八閒の大殿舍である。屋根は檜皮葺、比翼入母屋造で一に吉備津造とも稱し、前後に二棟の入母屋破風を竝行せしめ更に中央縱の一棟を以て兩棟を連結させて工字形となし、千木勝男木を上げて居る。この奇拔な屋根を持つ建物が巨大な龜腹の上に立つて居るのは壯觀である、而して本殿を圍つて高欄付廻緣が付けられ緣下に緣束なく插肘木で支へて居る。本殿外部の柱閒には多くの連子窓を用ゐ佛殿建築の樣式を加味し、內部の構造は更に多くの新機軸を出し、中央なる內陣、內內陣は三閒社流造に相當しその周圍に入側を付け、これが卽ち中陣に當るものでこれを椽の閒と稱し、その前面に向邦の閒を付け、これを朱の壇と稱し、更に全體を圍うて入側を付けて外陣として居る。而して外陣より中陣、內陣、內々陣と進むに從ひ、床と天井を高くして森嚴の度を加ふるためにせる等、各種の斬新なる手法を案出し、柱及長押上等すべて朱塗となし、扉には金蒔繪で山水畫を描き、頗る華麗な裝飾を施して居る。かくて建築上縱橫にその手腕を發揮しながら、しかもよく雄大莊重の感を現はして居る。

拜殿は本殿の前面に附加せられて本殿と一屋を構成し、重層なれども下層は上層の裳層をなし、上層の屋根は本殿の屋根の前面に連續し、上層檜皮葺三重垂木、下層本瓦葺一重垂木、內部總床張化粧屋根裏で、構造形式頗る雄大意匠奇拔にして他に比儔を見ないものである。

南隨身門[國寶] 本殿の左側より南方に通ずる長き廻廊の中央に建ち、屋根入母屋造、本瓦葺朱塗の八脚門である。正平十二年の建立にかゝり、室町初期の手法を示した莊重な姿の門である。

竈殿 廻廊の西側に連接して建つて居る。慶長年閒安原備中守草壁眞人知種の再建と傳へ、神祕的な御竈鳴神事がある。

岡山・吉備路のみどころ