吉備津彦神社

吉備津彥神社[國幣小社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

中国鉄道備前一宮駅下車、一宮村一宮にあります。祭神は大吉備津彦命で吉備国から備前国を分置された時、吉備国(備中国)にある吉備津神社を勧請して備前国の崇祀としたもので、吉備中山の北麓に位置しています。平安朝時代国司の崇敬あり、備前一の宮と称されました。建武康永の頃足利氏によって大規模な造営あり安土桃山時代の天正中(1573~1592年)宇喜多氏の崇敬を受け豊臣秀吉の高松城水攻の際祈願したことがあります。昭和3年(1928年)県社から昇格しました。社宝の糸巻太刀は刀身に井上真改延宝5年8月日「菊を切る」の銘あり、池田綱政の寄進状一通を添え国宝に指定されています。例祭は10月23日で、古式の流鏑馬神事あり、8月2・3日には田植祭が行われて賑わいます。社殿は昭和5年(1930年)炎上して目下再建中です。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
吉備津彦神社
かな
きびつひこじんじゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
岡山県岡山市北区一宮1043
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

中國鐵道備前一宮驛下車、一宮村一宮にある。祭神は大吉備津彥命で吉備國から備前國を分置せられた時、吉備國(備中國)なる吉備津神社を勸請して備前國の崇祀となしたもので、吉備中山の北麓に位置して居る。平安朝時代國司の崇敬あり、備前一の宮と稱せられた。建武康永の頃足利氏によりて大規模の造營あり天正中宇喜多氏の崇敬を受け豐臣秀吉高松城水攻の際祈願したことがある。昭和三年縣社より昇格した。社寶の絲卷太刀は刀身に井上眞改延寶五年八月日「菊を切る」の銘あり、池田綱政の寄進狀一通を添へ國寶に指定されて居る。例祭は十月二十三日で、古式の流鏑馬神事あり、八月二、三日には田植祭が行はれて賑ふ。社殿は昭和五年炎上して目下再建中である。

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