岡山市

岡山市
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

岡山駅所在地。旭川の下流にまたがり、市制施行以来市域を拡張すること3回、東西約7km、南北約10km、面積約47km²、地勢はおおむね平坦です。この地は池田氏三十二万石の旧城下町で、岡山県第一の都会として、商工業が栄え、工産物は生産総額約2,900万円(昭和6年)の9割以上を占め、織物をはじめ、紡績絹糸、綿糸、麦粉などを主とします。繁華街は上之町、中之町、栄町、紙屋町、西大寺町方面および岡山駅前付近で、これに次ぐのは駅前から城下に至る電車筋一帯です。観光地としては後楽園が最も名高いものです。この地は上古吉備の穴海と呼ばれ、海中に点々とあった島嶼が繋がって陸地となりましたが、大島と呼ぶ孤島にあった柴津岡山と称した岡阜から岡山の地名が起こったと伝えています。吉野朝時代正平の初め(1346年頃)名和氏の一族上神太郎兵衛高直が石山の地に城塁を設け、正平8年(1353年)に戦死したことが桜雲記に記されていますが、街としての発達は安土桃山時代の天正年間(1573~1592年)宇喜多氏が岡山の岡阜に築城してから始まり、その後池田氏270余年間の城下として明治維新におよびました。現在、人口は14万人。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
岡山市
かな
おかやまし
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
岡山県岡山市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

岡山驛所在地。旭川の下流に跨り、市制施行以來市域を擴張すること三回、東西約七粁、南北約一〇粁、面積約四七方粁、地勢槪して平坦である。この地は池田氏三十二萬石の舊城下町で、岡山縣第一の都會をなし、商工業殷盛、工產物は生產總額約二千九百萬圓(昭和六年)の九割以上を占め、織物を始とし、紡績絹絲、綿絲、麥粉などを主とする。繁華な街衢は上之町、中之町、榮町、紙屋町、西大寺町方面及岡山驛前附近で、これに次ぐは驛前より城下に至る電車筋一帶である。遊覽地としては後樂園が最も名高い。この地は上古吉備の穴海と呼ばれ、海中に碁布する島嶼が點綴して陸地となつたが、大島と呼ぶ孤島に在つた柴津岡山と稱した岡阜から岡山の地名が起つたと傳へて居る。吉野朝時代正平の初め名和氏の一族上神太郞兵衞高直が石山の地に城壘を設け、正平八年に戰死した事が櫻雲記に見えるが、都邑としての發達は天正年閒宇喜多氏が岡山の岡阜に築城してから始まり、その後池田氏二百七十餘年閒の城下として明治維新に及んだ。今、人口十四萬。

岡山・吉備路のみどころ