岡山藩藩学跡

岡山藩藩學址[指定史蹟]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

岡山駅の東約1km、市内西中山下の女子師範学校構内にあります。旧時の建物は多く撤廃されましたが、現在学校の正門となっている大門をはじめ、当時の校門および講堂等が残り、また泮池および石造の泮橋その他井戸などが遺存しています。始め江戸時代前期の慶安3年(1650年)池田光政藩士子弟教養のため、上道郡花畑の地に設けた学舎を、寛文6年(1666年)城内に移し、次いで現地に移転して規模を拡張し、泉八右衛門、津田重二郎に命じて工事を行わせましたが、同9年(1669年)閏10月工竣り、岡山藩学校と名付けました。次いで射圃、調馬埒等ができ、江戸時代末期の元治元年(1864年)に至り演武場を校門内に設け、武場館と号しましたが、廃藩とともに廃されました。

校門 前面泮池に臨み後面にある講堂と廊下をもって連なり、床は瓦敷で、門の左右に左塾、右塾の建物を附属し、全体入母屋造本瓦葺の建物になっています。門の梁上に佐々木志津麿筆になる「校門」の扁額が懸っています。

講堂 五間四面、入母屋造本瓦葺で、円柱を用い、床は板敷となり、四方に8個の大きな火灯窓を開き、外に広縁がめぐらされ、木階を付しています。室内に熊沢猪太夫筆「講堂」額が懸っています。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
岡山藩藩学跡
かな
おかやまはんはんがくあと
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
当時残っていた建物も昭和20年(1945年)の空襲で焼失、現在は池と橋だけが残っています。
住所
岡山県岡山市北区蕃山町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の東約一粁、市內西中山下の女子師範學校構內にある。舊時の建物は多く撤廢せられたが、現在學校の正門となつて居る大門を始め、當時の校門及講堂等を存し、且泮池及石造の泮橋その他井戶等が遺存して居る。始め慶安三年池田光政藩士子弟敎養のため、上道郡花畑の地に設けた學舍を、寬文六年城內に移し、尋で現地に移轉して規模を擴張し、泉八右衞門、津田重二郞に命じて工事を督せしめたが、同九年閏十月工竣り、岡山藩學校と名付けた。次いで射圃、調馬埒等成り、元治元年に至り演武場を校門內に設け、武場館と號したが、廢藩と共に廢せられた。

校門 前面泮池に臨み後面にある講堂と廊下を以て連なり、床は瓦敷で、門の左右に左塾、右塾の建物を附屬し、全體入母屋造本瓦葺の建物に成つて居る。門の梁上に佐々木志津麿筆になる「校門」の扁額が懸つて居る。

講堂 五閒四面、入母屋造本瓦葺で、圓柱を用ゐ、床は板敷となり、四方に八個の大きな火燈窓を開き、外に廣緣が繞らされ、木階を附して居る。室內に熊澤猪太夫筆「講堂」額が懸つて居る。

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