後楽園

後樂園[指定名勝]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

岡山駅の東1km、電車後楽園下車、市内古京町にあり、旭川の左岸に位置しています。江戸時代前期の貞享3年(1686年)岡山藩主池田綱政が家臣津田永忠に築造させたもので、翌4年(1687年)12月起工、14年を費して元禄13年(1700年)竣工、明治17年(1884年)2月岡山県の所有となり、その後拡張され、現在の面積は外苑を含んだ約11万4,600m²です。園の名は天下の楽に後れて楽しむという意味ですが、かつて荣園場、後園等と呼ばれたことがあります。全体の意匠は江戸初期の伝統を継承した遠州流で、水戸の偕楽園、金沢の兼六園と合せて三名園と呼ばれることがあります。南の岡山城、東の瓶井山にある安住院の多宝塔もこの公園に風趣を添えています。

旭川に架設した鶴見橋を渡って西から園内に入ると事務所、鶴鳴館、延養亭、栄唱、舞台、墨流し、方竹の間、和楽等が密集しています。鶴鳴館、延養亭はいずれも園内の大建築で、延養亭に沿って臨漪軒と呼ばれる小亭があります。栄唱、和楽の南における一帯の園池を花葉といい、花葉の池これに接し、池に栄唱橋がかかり、池辺に老松が繁り、花葉の滝、大立石、地蔵堂、四天王堂、二色ヶ岡、茂松庵(茶室)、チシャの木があります。チシャの木は戯曲千代萩にも見え、忠節を表象する名木とされます。

花葉の池の南に御船入、その東に廉池、フジ棚、ソテツ園、ショウブ池などがあり、ソテツ園の北に屹立する唯心山は園中の勝景が一望でき、山頂の唯心堂は観月によいところです。山の東南に流店と呼ぶ一楼閣があります。楼の下は桟板左右に分かれ、中央に小渠を通じ、鮑石亭の石になぞらえた6個の奇石があります。山の北には沢の池がたたえ、園内第一の大池で面積5,700m²に近く、中の島、御野島、砂利島の3島が横たわっています。中の島は東にあって最も大きく、島の茶屋がここに建ち、西岸にある石標の表に上道郡、裏に境沢と彫ってあります。これに隣接した御野島にも表に御野郡、裏に「みのしま」と刻した石標があります。これらの石標は郡界を示すものです。御野島の西北岸に釣台があります。

沢の池の東岸に近く井田があります。藩祖光政が周の田租法を試みるために和気の閑谷に開いた井田に模したものです。ここから南に桜林、梅林、桜の馬場、花交の池、花交の滝、利休堂等があります。桜林の北に千入の森という槭林があり、その東北隅から南にわたって新殿、稲荷祠、弁才天祠、沢の池の北に稲荷祠、由加神社、慈眼堂、烏帽子岩、津田永忠碑および寒翠と呼ばれる小亭などがあります。なお園の北辺から西北にかけて馬場、観騎亭、鳥小屋、射圃、観射亭、椿林があります。この方面にも松樹が多いところです。外苑は西隣にあって、面積約7,400m²におよび、樹木、芝生を植込み、音楽堂を設けてあります。後楽園には景色の優れたところが10か所あるといわれ、暫軒の嵐、延養亭の鶴、栄唱橋、二色ヶ岡の花、唯心山の月、流店の水、花交の滝、千人の森、沢池の蓮、慈眼堂の松はその細目ですが、暫軒の嵐、沢池の蓮、慈眼堂の松は現存していません。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
後楽園 後楽園

令和に見に行くなら

名称
後楽園
かな
こうらくえん
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
昭和20年(1945年)の空襲により建物の多くを焼失、戦後に再建されています。
住所
岡山県岡山市北区後楽園
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の東一粁、電車後樂園下車、市內古京町にあり、旭川の左岸に位する。貞享三年岡山藩主池田綱政が家臣津田永忠をして築造させたもので、翌四年十二月起工、十四年を費して元祿十三年竣工、明治十七年二月岡山縣の所有となり、その後擴張され、現在の面積は外苑を含んだ約一、一四六アールである。園の名は天下の樂に後れて樂む意であるが、嘗て荣園場、後園等と呼ばれたことがある。全體の意匠は江戶初期の傳統を繼承した遠州流で、水戶の偕樂園、金澤の兼六園と合せて三名園と呼ばれることがある。南方の岡山城、東方甁井山にある安住院の多寶塔もこの公園に風趣を添へて居る。

旭川に架設せる鶴見橋を渡つて西方から園內に入ると事務所、鶴鳴館、延養亭、榮唱、舞臺、墨流し、方竹の閒、和樂等が密集して居る。鶴鳴館、延養亭は何れも園內の大建築で、延養亭に沿うて臨漪軒と稱する小亭がある。榮唱、和樂の南に於ける一帶の園池を花葉と云ひ、花葉の池これに接し、池に榮唱橋かゝり、池邊に老松繁り、花葉の瀧、大立石、地藏堂、四天王堂、二色ケ岡、茂松庵(茶室)、ちしやの木がある。ちしやの木は戲曲千代萩にも見え、忠節を表象する名木と稱される。

花葉の池の南に御船入、その東に廉池、藤棚、蘇鐵園、菖蒲池等があり、蘇鐵園の北に屹立する唯心山は園中の勝景一眸に集まり、山頂の唯心堂は觀月によい。山の東南に流店と呼ぶ一樓閣がある。樓の下は棧板左右に分れ、中央に小渠を通じ、鮑石亭の石になぞらへた六個の奇石がある。山の北には澤の池が湛へ、園內第一の大池で面積五七アールに近く、中の島、御野島、砂利島の三島が橫はつて居る。中の島は東にあつて最も大きく、島の茶屋こゝに建ち、西岸にある石標の表に上道郡、裏に境澤と彫つてある。これに鄰せる御野島にも表に御野郡、裏に「みのしま」と刻せる石標がある。これ等の石標は郡界を示すものである。御野島の西北岸に釣臺がある。

澤の池の東岸に近く井田がある。藩祖光政が周の田租法を試みるために和氣の閑谷に開いた井田に模したものである。これより南方に櫻林、梅林、櫻の馬場、花交の池、花交の瀧、利休堂等がある。櫻林の北に千入の森と云ふ槭林があり、その東北隅から南方に亙つて新殿、稻荷祠、辨才天祠、澤の池の北に稻荷祠、由加神社、慈眼堂、烏帽子岩、津田永忠碑及寒翠と稱する小亭などがある。尙園の北邊から西北にかけて馬場、觀騎亭、鳥小屋、射圃、觀射亭、椿林がある。この方面にも松樹が多い。外苑は西鄰にあつて、面積約七四アールに及び、樹木、芝生を植込み、音樂堂を設けてある。後樂園には景色の勝れた所が十箇所あると云はれ、暫軒の嵐、延養亭の鶴、榮唱橋、二色ケ岡の花、唯心山の月、流店の水、花交の瀧、千人の森、澤池の蓮、慈眼堂の松はその細目であるが、暫軒の嵐、澤池の蓮、慈眼堂の松は今その實がない。

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