奈良帝室博物館(奈良国立博物館)
昭和初期のガイド文
奈良公園内にあり、毎日開館しています。主に奈良県の古社寺から寄託された美術品を展示しています。絵画・彫刻は各時代の優秀な作品が収集されていますが、特に彫刻は飛鳥時代から鎌倉時代に至る多数の代表的傑作を見ることができることで有名です。
館内の展示室は13室に分かれており、第1室から第3室には彫刻を展示し、第4室から第8室には仏具、武器、甲冑その他の美術工芸品が展示され、第9室から第12室には主として絵画、第13室には伎楽面、古文書等が展示されています。ここでは第1室から順に各室の主な展示品を説明します。なお、絵画は時々一部ずつ展示替えして公開されるため、展示の有無にかかわらず、重要なものについて説明します。
第1室 この部屋は館の中央部にある広間で、飛鳥時代および奈良時代の優秀な彫刻が多数展示されています。
虚空蔵菩薩立像[国宝] 1軀 法輪寺 正面の大展示ケース内に展示されています。木造、彩色、高さ約2.36メートル、左手に宝瓶を持って立っています。体躯は太く短く、やや均衡を失していますが、これは飛鳥仏に見られる一つの特徴です。全体の形態は法隆寺の百済観音ほど優美ではありませんが、飛鳥仏の代表的傑作として名高いものです。
釈迦如来坐像および文殊菩薩立像[国宝] 2軀 法隆寺 金銅製、釈迦像高さ約16.7センチメートル、光背高さ約39.4センチメートル、もと釈迦三尊像でしたが、現在は右脇侍を欠いています。止利式の小像で、光背の裏面に次の銘文が刻されています。
戊子年十二月十五日朝風文将基零済師慧燈為嗽加大臣誓願敬造釈迦仏像以此願力七世四恩六道四生倶成正覚
戊子年とあるのは恐らく飛鳥時代の推古天皇36年(628年)で、嗽加大臣は蘇我蝦夷を指すものと思われます。
四天王像[国宝] 2軀 法隆寺 塑像彩色、次に掲げた梵天帝釈天と共に一組の群像をなし、もと法隆寺食堂薬師如来像の脇侍でした。高さはいずれも約1メートルあり、その手法は優秀で、法隆寺五重塔内の塑像と類似する点があり、奈良時代天平盛期の塑像の先駆をなすものです。塑像は乾漆像と共に奈良時代において最も著しい発達をなし、次の平安時代以後は全く振るわなくなりました。
梵天帝釈天立像[国宝] 2軀 法隆寺 塑像彩色、高さ約1.06メートル、前出の四天王像と一組をなす群像で、その形式手法も同様です。所々に僅かながら当初の彩色模様を残しています。
楊柳観音菩薩立像[国宝] 1軀 大安寺 木造彩色、奈良時代天平時代、高さ台座とも約1.97メートル、檜の一木彫で所々欠損しあるいは修補した箇所もあり、その上均衡のよくない点もありますが、なお人目を引くものがあり、いわゆる大安寺流の特徴ある像です。楊柳観音となっていますがこれは後世付けた名であろうと思われます。
聖観世音立像[国宝] 1軀 大安寺 木造、天平時代、高さ約1.82メートル、岩座の上に立っています。これも大安寺流の手法を表した作品です。
不空羂索観世音立像[国宝] 1軀 大安寺 木造彩色、天平時代、高さ約1.91メートル、八臂の像ですが手は全て後補です。
十一面観世音菩薩立像[国宝] 1軀 薬師寺 木造彩色、高さ約1.91メートル、左手を胸側にあげて宝瓶を持ち、右手は長く垂れています。所々欠損し補作も少なくありませんが、豊満な肉付けと流麗な衣のひだの彫法は、よく天平時代の木彫を代表しています。
大自在菩薩立像[国宝] 1軀 唐招提寺 木造、天平時代、高さ約1.70メートル、左右の手をはじめその他所々欠失していますが、なおよくその姿態に天平時代の豊麗な手法を示した傑作です。
衆宝王菩薩立像[国宝] 1軀 唐招提寺 木造、天平時代、高さ約1.73メートル、この像には何等後世修補の跡なく、よく引き締まった感じの表れた一傑作です。
天龍八部衆立像[国宝] 7軀 興福寺 乾漆彩色、伝問答師作。天平時代、高さいずれも約1.52メートル前後あり、乾闥婆王、娑竭羅龍王、緊那羅王、鳩槃茶龍王、毘婆迦羅龍王、迦楼羅王および阿修羅王の7軀が展示されています。乾漆像は奈良時代に最も盛んに製作され、平安時代以後においてはほとんど見られません。
釈迦十大弟子像[国宝] 4軀 興福寺 乾漆、天平時代、高さ各約1.52メートル、釈迦十大弟子中の富楼那、迦旃延、羅睺羅、目犍連の4軀で問答師の作と伝え、いずれもよく個性を発揮した優秀な肖像彫刻ですが、富楼那の像は特に優れています。
四仏坐像[国宝] 4軀 西大寺 木心乾漆造、平安時代初期、高さ各70~76センチメートルあり、体躯の形相は簡素な手法で作られていますが、顔面の表現には特に意が用いられています。
五重塔模型[国宝] 1基 海龍王寺 木造、高さ約3.94メートル、内外とも丹塗り、壁は板で胡粉を施し、また連子は緑青を塗っています。全体の様式は全く薬師寺の東塔とよく一致しています。奈良時代初期のものと思われます。
五重塔模型[国宝] 1基 極楽院 木造、高さ約3.33メートル、元興寺塔婆の雛形と伝えられています。これも奈良時代の作ですが海龍王寺のものよりはやや後のものと思われます。
厨子扉[国宝] 3枚 当麻寺 当麻曼荼羅の厨子の扉で蓮華の蒔絵があります。鎌倉時代の仁治3年(1242年)の銘文があり、源頼朝以下勧進者の名が多く列記してあることで名高いものです。
第2室 平安時代および藤原時代の優秀な彫刻が展示されています。その中の代表的作品を次に説明します。
弥勒仏坐像[国宝] 1軀 東大寺 木造、小像ですが非常に力強い表現を持った平安時代の作で、その手法を翻波式と称し、平安時代木彫の一特徴です。
十一面観世音立像[国宝] 1軀 霊山寺 木造、高さ約85センチメートル、神秘的表現に富んだ平安時代の作です。
僧形八幡神坐像[国宝] 1軀 薬師寺 木造彩色、高さ約39.4センチメートル、平安時代の単純な力強い刀法によって、よく神像にふさわしい神々しい表現を持った傑作です。この像は次に掲げた神功皇后、仲津姫命の2体と共にもと薬師寺鎮守八幡宮の神体でした。
神功皇后および仲津姫命坐像[国宝] 2軀 薬師寺 木造彩色、高さ各約36.4センチメートル、伝来および作風は僧形八幡像と同じですが、その服飾は当時の風俗を知る上で貴重な資料です。
日羅立像[国宝] 1軀 橘寺 木造彩色、高さ約1.42メートル、一見地蔵菩薩の形相を備えた像で左手に宝珠を持ち右手を垂れています。姿態は非常に雄大で刀法はいわゆる翻波式で平安初期の名作です。
第3室 この部屋には鎌倉時代の優秀な彫刻が展示されています。次にその代表的作品について説明します。
維摩居士坐像[国宝] 1軀 興福寺 木造彩色、定慶作、高さ約88センチメートル、寄木造、玉眼入り、写実的技法の極みに入ったもので鎌倉時代の傑作です。定慶は運慶の次子です。この像は定慶の作として確証あるものの一つで、胎内に鎌倉時代建久7年(1196年)の銘文があります。
天燈鬼および龍燈鬼立像[国宝] 2軀 興福寺 木造彩色、康弁作、高さ各約76センチメートル、寄木造、玉眼入り、手法の豪健、意匠の奇抜さをもって知られた鎌倉時代の作です。康弁は運慶の三男です。
世親および無着菩薩立像[国宝] 2軀 興福寺 木造彩色、運慶作、高さ各約1.91メートル、寄木造玉眼入り、僧形の像で、風貌温雅にして姿勢衣文の雄大豪放なる、実に鎌倉彫刻の傑作にして、運慶の手腕を遺憾なく発揮しています。両像ともにもと興福寺北円堂の本尊弥勒像の両側に侍立していたものです。
金剛力士立像[国宝] 2軀 興福寺 木造彩色、伝定慶作、高さ約1.61メートル、筋肉の隆起血管の怒張、全身の緊張した姿勢は、鎌倉仏師の得意とする所、この像のごときは実にその代表的傑作で、雄豪な気象をよく表現しています。
地蔵菩薩立像[国宝] 1軀 東大寺 木造彩色、快慶作、高さ約91センチメートル、寄木造、玉眼入りで、彩色もよく残っています。快慶の最も得意とする温雅にして優美な形相を示した彼の傑作です。この像は右足の柄に「巧匠快慶」と刻銘があります。快慶は法名を安阿弥陀仏と言い、略して安阿弥と称し、運慶と並び称された鎌倉初期の大彫刻家です。この室にはこの他彼の作による執金剛神立像と深沙大王立像があり、いずれも金剛院の寄託です。
第4室 この部屋には仏具および歴史的遺物が展示されています。以下にその著しいものについて説明します。
銅鐘[国宝] 1口 興福寺 高さ約1.50メートル、もと興福寺の観禅院にあったもので奈良時代神亀4年(727年)の銘文があります。
露盤[国宝] 1個 談山神社 金銅製、露盤は伏鉢とも称し、塔の最上層の屋根の頂上と九輪との間に置かれるもので、この露盤は側面に次の銘文が陰刻されています。それによるとこれはもと粟原寺の塔婆に用いられたもので、その塔婆は奈良時代和銅8年(715年)に中臣大島が草壁王のために建立したことが分かります。粟原寺の址は多武峯粟原にあります。
寺壹院四至
限東竹原谷東岑 限南太岑
限樫村谷西岑 限北忍坂川
此粟原寺者仲臣朝臣大嶋惶惶誓願
奉爲大倭國淨美原宮治天下天皇時
日並御宇東宮敬造伽藍之爾故比賣
朝臣額田以甲午年始至於和銅八年
合廿二年中敬造伽藍而作金堂仍造
釋迦丈六尊像
和銅八年四月敬以進上於三重寶塔
七科露盤矣
仰願籍此功德
皇太子神靈速證尤上菩提果
願七世先靈 共登彼岸
願大嶋大夫 必得佛果
願及含識 倶成正覺
南円堂燈籠扉[国宝] 4枚 興福寺 青銅製、もと6枚あったが今4枚を残しています。平安時代弘仁7年(816年)の銘文があり、その書は橘逸勢の筆と伝え特に有名です。
誕生釈迦立像および灌仏盤[国宝] 1組 東大寺 金銅製、いずれも奈良時代の作で灌仏盤の周囲に陰刻された人物禽獣草花の模様は異国趣味のあるもので非常に興味を引きます。
法華説相図(千体釈迦板仏)[国宝] 1面 長谷寺 銅板製、縦約91センチメートル、横約79センチメートル、厚さ約3センチメートル。図像は釈迦如来が霊鷲山で法華経を説いた時の様子を表したものです。長い銘文が陰刻されています。この銘文によると道明法師が80余人を率いて天武天皇のために造ったものです。
第5室 この部屋には磚仏、多宝塔および法隆寺金堂の天人等が展示されています。
阿弥陀三尊像[国宝]1面 霊山寺 磚製、長方形タイル形のもので表面に阿弥陀三尊像を浮彫で表しています。この種の仏像は磚仏と称し、奈良時代初期に作られたものでもと寺院に奉納したのであろうという説もありますが、用途は今なお明らかではありません。
多宝塔[国宝]1基 西大寺 鉄造、九輪に繋がる鉄柱に以下の銘文が刻されています。
大願主西大寺沙門叡尊始自弘安六年癸未十二月一日至于同七年甲申八月七日造畢日數六百九十七日大工藤原宗安
第6室 この部屋には舎利塔、経筥、楽器、その他の仏具類が展示されていますが、特に著名なのは華鈴盤です。
華鈴盤[国宝] 1基 興福寺 青銅製、高さ約97センチメートル、全体鋳物製で金鼓は4つの龍のからめる中につるされ、中央の柱を狛犬の背に立てて支えています。金鼓は後に補ったものと思われ鎌倉時代以上に遡るものではありませんが、龍および狛犬はその技法精巧を極め意匠の卓越したのは稀に見るところで、天平時代の製作と思われるものです。しかし近頃これをも鎌倉時代の作とみる説もあります。
第7室 この部屋には正倉院御物の模造太刀、刀子、尺八、子日手辛鋤および箒などが展示されています。
第8室 この部屋には武器甲冑馬具などを展示しています。次にその主なものを説明します。
赤糸威大鎧[国宝] 1領 春日神社 伝源義経寄附 兜大袖付 胴は全面に竹雀透彫金具を伏せ化粧板菖蒲韋、水引紅白綾、胴六段、弦走韋獅子牡丹、綿嚙包韋胴に同じ、菜黄緒および高紐五星章、鞠鍍金、障子板包韋胴に同じく、外側に竹透彫金物を伏せています。背面は押付板、八双竹彫雀鋲、逆板、総角付大座、竹雀透彫、裾金物竹雀一面に打ち、草摺五段下り、脇盾1枚、包韋獅子牡丹、梅檀板三段下り上下に竹雀の金物を伏せ、鳩尾板竹透彫金物を伏せ、居紋雀の金物。兜は黒漆二十四間、丸鉢六方白地板鉄、竹雀透彫を伏せています。八幡座三重、眉庇、包韋獅子牡丹文大鍬形鍍金、鍬形台竹彫雀の鋲を中央に打っています。大袖は七段下り袖には竹の透彫居物あり、その下に虎の居物があります。実に装飾金物の精巧美麗を以て有名な甲冑にして、このように大袖に居物のあるのは、青森県櫛引八幡宮所蔵の籬菊金物の鎧においてこれを見るのみで、彼とこれと珍重すべき双璧です。製作年代も共に鎌倉時代です。
黒革威胴丸[国宝] 1領 春日神社 伝楠正成寄進、兜大袖付、菊金具、南北朝時代
樺糸威鎧[国宝] 1領 春日神社 伝源義家所用、兜附属、黒小札樺糸威で梅枝を表した精巧緻密な金具を用いた鎌倉時代の優秀な作です。
黒韋威矢筈札胴丸[国宝] 1領 春日神社 伝楠正成寄進、兜大袖付。兜の鉢は黒漆三十二間筋鉢で、前面に鍍金鎬垂三条あり、鍬形は鍍金、胴は黒漆矢筈札で、袖は本小札を用い、仕立ては全部兜と同様にして精巧な菊金具を使用した南北朝時代の代表作です。
移鞍[国宝] 1具 手向山神社 伝奈良時代天平年間製、外黒塗、内朱塗、移鞍は唐鞍とも称し儀装の馬に用いられるもので、神社においては霊代渡御の際などに使用されます。この移鞍はよく古式を伝えたもので、ほとんど完全な状態で、熊野速玉神社の移鞍と共に故実家の重んずるところです。
第9、10、11、12室 この四室には絵画が展示されますが、時々展示替えが行われます。次にこれら各室に展観される国宝絵画中の主要なものを説明します。
吉祥天像[国宝] 1面 薬師寺 絹本著色で額装、厨子入りの作品です。縦53cm、横31.5cmの大きさで、豊かな頬と優美な表情を持つ唐風の美人として描かれています。筆使いの流麗さと色彩の美しさは、奈良時代絵画の特徴をよく表しています。奈良時代の絵画作品が非常に少ない中で、最も重要な作品の一つとされています。この像は以前、薬師寺で毎年行われていた吉祥会の本尊だったとされています。
十二天像[国宝] 4幅 西大寺 絹本著色で、各縦159cm、横133cmの大作です。唐風を取り入れた平安時代初期の代表的な仏画で、当館では十二幅のうち梵天、帝釈天、地天、水天の4像が展示されています。
孔雀明王像[国宝] 1幅 法隆寺 絹本著色で、縦117cm、横81cmの作品です。平安時代に描かれた密教的図像で、現存する孔雀明王像の中で最も古い作品として注目されています。
阿弥陀如来観音勢至及持幡童子像[国宝] 3幅 法華寺 絹本著色の作品です。中幅の阿弥陀如来像は縦186cm、横144cm、観音勢至菩薩像は縦182cm、横171cm、持幡童子図は縦183cm、横52cmです。寺伝では光明皇后の臨終の際に枕元に掲げられたとされていますが、実際にはそれほど古いものではなく、藤原時代初期に発展した浄土教の来迎図として描かれたものです。高野山の有名な阿弥陀仏及二十五菩薩来迎図よりもやや古い時代のもので、その描線と彩色の美しさが特に高く評価されています。
信貴山縁起[国宝] 3巻 朝護孫子寺 紙本著色で、信貴山毘沙門天の霊験を描いたものです。日本の絵巻物の中で最高傑作とされ、また現存する絵巻物の中で最も古いものの一つとして有名です。藤原時代の作品で、人物の動きを生き生きと写実的に描写しており、源氏物語絵巻と並び称される傑作です。
慈恩大師像[国宝] 1幅 興福寺 絹本著色で、縦242cm、横125cmの作品です。慈恩大師は法相宗の祖師で、慈恩会は興福寺や薬師寺などで重要な法会として行われていました。この像は大師の人格を生き生きと表現した藤原時代の優れた肖像画です。
華厳五十五所絵巻[国宝] 1巻 東大寺 紙本著色の作品です。この絵巻は、善財童子が文殊菩薩の説法を聞いて発心し、五十五か所の善知識を訪ね歩いて修行するという華厳経の物語を描いたものです。制作年代については藤原時代末期とする説もありますが、鎌倉時代初期の作品とするのが妥当でしょう。
扇面法華経下絵[国宝] 12枚 四天王寺 紙本著色で額装された作品です。扇形の料紙に絵を描き、その上に法華経を書写したものです。絵は藤原時代末期のもので、経典の内容とは関係なく、主にその当時の風俗を描いています。人物描写はいわゆる「引目鉤鼻式」で、藤原時代に流行した人物描写の様式を伝えており、全体として装飾的な美しさに富んでいます。また、部分的に木版を使用して絵の輪郭を印刷し、それに彩色を施していることが発見され、日本の版画の起源を示すものとして注目されています。
東征絵伝[国宝] 5巻 唐招提寺 紙本著色で、蓮行の筆による作品です。この絵巻は唐招提寺の開祖・鑑真和尚が多くの困難を乗り越えて日本に渡来した物語を鎌倉時代に描いたもので、各巻に「永仁6年(1298年)8月、画六郎兵衛入道蓮行」という記録と、「永仁6年8月、極楽律寺住持沙門忍性」という奉納の記録が残されています。
五大明王像[国宝] 5幅 醍醐寺 絹本著色の作品です。怒りの表情を示した鎌倉時代を代表する明王像で、戦乱の鎮圧や国土守護などの祈祷に用いられた密教修法の本尊です。
十界図[国宝] 5面 来迎寺 絹本著色で額装された作品です。鎌倉時代のもので、全15面のうち、等活地獄、衆合地獄、人道九相、殺父業因、および天道歓楽の5面が展示されています。
山水図[国宝] 8幅 霊雲院 紙本墨画で、伝狩野元信筆とされる作品です。室町時代の作で、狩野派の基礎を築いた元信の筆致が見られる大作です。
瀟湘八景図[国宝] 4幅 東海庵 紙本墨画で、伝狩野元信筆とされる作品です。瀟湘八景は中国の風景で、室町時代以来、日本の漢画家が好んで取り上げた画題ですが、この元信の画には中国画にない日本的な趣が表れており、彼の代表作と見なすべき作品でしょう。
第十三室 この部屋には伎楽面、舞楽面、諸寺の門額および古文書類が展示されています。
令和に見に行くなら
- 名称
- 奈良帝室博物館(奈良国立博物館)
- かな
- ならていしつはくぶつかん(ならこくりつはくぶつかん)
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 備考
- 現在の奈良国立博物館です。
- 住所
- 奈良県奈良市登大路町50
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
奈良公園內にあり、每日開館し、主として奈良縣の古社寺より寄託せる美術品を陳列して居る。繪畫彫刻は各時代を通じて優秀な作品が蒐集されて居るが、特に彫刻は推古時代より鎌倉時代に及び、多數の代表的傑作を見ることが出來るので有名である。
館內の陳列室は十三室に分かれ、第一、第二、第三の三室には彫刻を陳列し、第四室より第八室に至る五室には佛具、武器、甲胃その他の美術工藝品が陳列され、第九、第十、第十一及第十二の四室には主として繪畫、第十三室には伎樂面、古文書等が陳列されて居る。今第一室から順を追うて各室の主なる陳列品を列擧說明する。尤も繪畫は時々一部分づゝ陳列替へして展觀されるから、陳列の有無を問はず、重要なものに就いて說明する。
第一室 この室は館の中央部に當れる廣間で、飛鳥及奈良時代の優秀な彫刻が多數陳列されて居る。
虛空藏菩薩立像[國寶] 一軀 法輪寺 正面の大陳列箱内に陳列されて居る。木造、著色、高さ七尺八寸、左手に寶瓶を提げて立つて居る。體軀は太短かく、やや權衡を失して居るが、これは推古佛に見る一の特徴である。全體の形態は法隆寺の百濟觀音ほど優美でないが、推古佛の一代表的傑作として名高い。
釋迦如來坐像及文殊菩薩立像[國寶] ニ軀 法隆寺 金鋼製、釋迦高さ五寸五分、光背高さ一尺三寸、もと釋迦三尊像であつたが今右脇侍を缺いて居る。止利式の小像で、光背の裏面に次の銘文が刻されて居る。
戊子年十二月十五日朝風文將基零濟師慧燈爲嗽加大臣誓願敬造釋迦佛像以此願力七世四恩六道四生倶成正覺
戊子年とあるは恐らく推古天皇の三十六年で、嗽加大臣は蘇我蝦夷を指すのであらう。
四天王像[國寶] 二軀 法隆寺 塑像著色、次にかゝげた梵天帝釋天と共に一組の群像をなしもと法隆寺食堂藥師如來像の脇侍であつた。高さ何れも三尺四五寸あり、その手法優秀にて、法隆寺五重塔内の塑像と類似せる所あり、天平盛期の塑像の先驅をなすものである。塑像は乾漆像と共に奈良時代に於て最も著しい發達をなし、次の平安時代以後は全く振はなくなつた。
梵天帝釋天立像[國寶] 二軀 法隆寺 塑像著色、高さ三尺五寸餘、前出の四天王像と一組をなす群像にしてその形式手法も同樣である。所々に僅かながら當初の彩色模樣を殘して居る。
楊柳觀音菩薩立像[國寶] 一軀 大安寺 木造彩色、天平時代、高さ臺座とも六尺五寸、檜の一木彫で所々缺損し或は修補した所もあり、その上均衡のよくない點もあるが、尙且つ人目を惹くものがあり、所謂大安寺流の特徵ある像である。楊柳觀音となつて居るがこれは後世附けた名であらう。
聖觀世音立像[國寶] 一軀 大安寺 木造、天平時代、高さ約六尺、岩座の上に立つて居る。これも大安寺流の手法を現はした作である。
不空羂索觀世音立像[國寶] 一軀 大安寺 木造著色、天平時代、高さ約六尺三寸、八臂の像であるが手は全部後補である。
十一面觀世音菩薩立像[國寶] 一軀 藥師寺 木造著色、高さ六尺三寸、左手を胸側にあげて寶瓶を持ち、右手は長く垂れて居る。所々缺損し補作も少くないが、豐滿な肉付と流麗な襞褶の彫法は、よく天平時代の木彫を代表して居る。
大自在菩薩立像[國寶] 一軀 唐招提寺 木造、天平時代、高さ五尺六寸、左右の手をはじめその他所所缺失せるも尙よくその姿態に天平時代の豐麗な手法を示した傑作である。
衆寶王菩薩立像[國寶] 一軀 唐招提寺 木造、天平時代、高さ五尺七寸、この像には何等後世修補のあとなく、よく引締つた感じの現はれた一傑作である。
天龍八部衆立像[國寶] 七軀 興福寺 乾漆彩色、傳問答師作。天平時代、高さ何れも五尺內外あり、乾圈婆王、沙羯羅龍王、緊那羅王、鳩槃茶龍王、畢婆伽羅龍王、迦樓羅王及阿修羅王の七軀が陳列されて居る。乾漆像は奈良時代に最も盛んに製せられ、平安朝以後に於ては殆んど見ない。
釋迦十大弟子像[國寶] 四軀 興福寺 乾漆、天平時代、高さ各約五尺、釋迦十大弟子中の富樓那、迦旃延、羅喉羅、目犍連の四軀で問答師の作と傳へ、何れもよく個性を發揮せる優秀な肖像彫刻であるが、富樓那の像は特に優れて居る。
四佛坐像[國寶] 四軀 西大寺 木心乾漆造、平安初期、高各二尺三寸乃至二尺五寸あり、體軀の形相は簡素な手法に成つて居るが、顏面の表現には特に意を用ゐて居る。
五重塔模型[國寶] 一基 海龍王寺 木造、高さ十三尺、内外とも丹塗、壁は板で胡粉を施し、また連子は綠靑を塗つて居る。全體の樣式は全く藥師寺の東塔とよく一致して居る。奈良時代初期のものであらう。
五重塔模型[國寶] 一基 極樂院 木造、高さ十一尺、元興寺塔婆の雛形と傳へて居る。これも奈良時代の作であるが海龍王寺のよりは稍後であらう。
厨子扉[國寶] 三枚 當麻寺 當麻曼茶羅の厨子の扉で蓮華の蒔繪がある。鎌倉時代仁治三年の銘文があり、源賴朝以下勸進者の名が多く列記してあるので名高い。
第二室 平安及藤原時代の優秀な彫刻が陳列されて居る。その中代表的作品を次に說明する。
彌勒佛坐像[國寶] 一軀 東大寺 木造、小像であるが頗る力强い表現を持つた平安時代の作でその手法を飜波式と稱し、平安時代木彫の一特徵である。
十一面觀世音立像[國寶] 一軀 靈山寺 木造、高さ二尺八寸、神祕的表現に富んだ平安時代の作である。
僧形八幡神坐像[國寶] 一軀 藥師寺 木造著色、高さ一尺三寸、平安時代の單純な力强い刀法によつて、よく神像に適はしい神々しい表現を持つた傑作である。この像は次にかゝげた神功皇后、仲津姬命の二體と共にもと藥師寺鎭守八幡宮の神體であつた。
神功皇后及仲津姬命坐像[國寶] 二軀 藥師寺 木造著色、高さ各一尺二寸、傳來及作風は僧形八幡像と同じであるが、その服飾は當時の風俗を徵すべき貴重な資料である。
日羅立像[國寶] 一軀 橘寺 木造著色、高さ四尺七寸、一見地藏菩薩の形相を備へた像で左手に寶珠を持ち右手を垂れて居る。姿態頗る雄大にして刀法は所謂飜波式で平安初期の名作である。
第三室 この室には鎌倉時代の優秀な彫刻が陳列されて居る。今次にその代表的作品について說明する。
維摩居士坐像一軀[國寶] 一軀 興福寺 木造著色、定慶作、高さ二尺九寸、寄木造、玉眼入、寫實的技法の神に入つたもので鎌倉時代の傑作である。定慶は運慶の次子である。この像は定慶の作として確證あるものゝ一で、胎內に、建久七年の銘文がある。
天燈鬼及龍燈鬼立像[國寶] 二軀 興福寺 木造著色、康辨作、高さ各約二尺五寸、寄木造、玉眼入、手法の豪健、意匠の奇拔を以て著はれた鎌倉時代の作である。康辨は運慶の三男である。
世親及無着菩薩立像[國寶] 二軀 興福寺 木造著色、運慶作、高さ各六尺三寸、寄木造玉眼入、僧形の像で、風貌溫雅にして姿勢衣文の雄大豪放なる、實に鎌倉彫刻の傑作にして、運慶の手腕を遣憾なく發揮して居る。兩像ともにもと興福寺北圓堂の本尊彌勒像の兩側に侍立して居たものである。
金剛力士立像[國寶] 二軀 興福寺 木造著色、傳定慶作、高さ五尺三寸、筋肉の隆起血管の怒張、全身の緊張した姿勢は、鎌倉佛師の得意とする所、この像の如きは實にその代表的傑作で、雄豪な氣象をよく表現して居る。
地藏菩薩立像[國寶] 一軀 東大寺 木造著色、快慶作、高さ三尺、寄木造、玉眼入りで、彩色もよく殘つて居る。快慶の最も得意とする溫雅にして優美な形相を示した彼の傑作である。この像は右足の柄に「巧匠快慶」と刻銘がある。快慶は法名を安阿彌陀佛と云ひ、略して安阿彌と稱し、運慶と並び稱せられた鎌倉初期の大彫刻家である。この室にはこの外彼の作にかゝる執金剛神立像と深沙大王立像があり、何れも金剛院の寄託である。
第四室 この室には佛具及歷史的遺物が陳列されて居る。左にその著しきものに就いて說明する。
銅鐘[國寶] 一口 興福寺 高さ四尺九寸五分、もと興福寺の觀禪院にあつたもので神龜四年の銘文がある。
露盤[國寶] 一個 談山神社 金銅製、露盤は一に伏鉢とも稱し、塔の最上層の屋根の頂上と九輪との間に置かれるもので、この露盤は側面に次の銘文が陰刻されて居る。それによるとこれはもと粟原寺の塔婆に用ゐられたもので、その塔婆は和銅八年に中臣大島が草壁王のために建立したことが判る。粟原寺の址は多武峯粟原にある。
寺壹院四至
限東竹原谷東岑 限南太岑
限樫村谷西岑 限北忍坂川
此粟原寺者仲臣朝臣大嶋惶惶誓願
奉爲大倭國淨美原宮治天下天皇時
日並御宇東宮敬造伽檻之爾故比賣
朝臣額田以甲午年始至於和銅八年
合廿二年中敬造伽檻而作金堂仍造
釋迦丈六尊像
和銅八年四月敬以進上於三重寶塔
七科鑪盤矣
仰願籍此功德
皇太子神靈速證尤上菩提果
願七世先靈 共登彼岸
願大嶋大夫 必得佛果
願及含識 倶成正覺
南圓堂燈籠扉[國寶] 四枚 興福寺 靑銅製、もと六枚あつたが今四枚を存して居る。弘仁七年の銘文があり、その書は橘逸勢の筆と傳へ特に有名である。
誕生釋迦立像及灌佛盤[國寶] 一組 東大寺 金鋼製、何れも奈良時代の作で灌佛盤の周圍に陰刻された人物禽獸草花の模樣は異國趣味のあるもので頗る興味を惹く。
法華說相圖(千體釋迦板佛)[國寶] 一面 長谷寺 銅板製、竪三尺、橫二尺六寸、厚約一寸圖像は釋迦如來が靈鷲山で法華經を說いた時の有樣を現はしたものである。長い銘文が陰刻されて居る。この銘文によると道明法師が八十餘人を率ゐて天武天皇のために造つたものである。
第五室 この室には磚佛、多寶塔及法隆寺金堂の天人等が陳列されて居る。
阿彌陁三尊像[國寶]一面 靈山寺 磚製、長方形タイル形のもので表面に阿彌陀三尊像を浮彫で現はして居る。この種の佛像は磚佛と稱し、奈良時代初期に作られたものでもと寺院に奉納したのであらうと云ふ說もあるが、用途は今尙明かでない。
多寶塔[國寶]一基 西大寺 鐵造、九輪に繫がる鐵柱に左の銘文が刻されて居る。
大願主西大寺沙門叡尊始自弘安六年癸未十二月一日至于同七年甲申八月七日造畢日數六百九十七日大工藤原宗安
第六室 この室には舍利塔、經筥、樂器、その他の佛具類が陳列されて居るが、特に著名なのは華原磐である。
華原磐[國寶] 一基 興福寺 靑銅製、高さ三尺二寸、全體鑄物製で金鼓は四つの龍のからめる中につるされ、中央の柱を狛犬の背に立てゝ支へて居る。金鼓は後に補つたものなるべく鎌倉時代以上に上るものではないが、龍及狛犬はその技法精巧を極め意匠の卓越せるは稀に見る所にして、天平時代の製作と思はるゝものである。然し近頃これをも鎌倉時代の作と見る說もある。
第七室 この室には正倉院御物の模造太刀、刀子、尺八、子日手辛鋤及箒などが陳列されて居る。
第八室 この室には武器甲冑馬具などを陳列して居る。次にその主なるものを說明する。
赤絲威大鎧[國寶] 一領 春日神社 傳源義經寄附 兜大袖付 胴は全面に竹雀透彫金具を伏せ化粧板菖蒲韋、水引紅白綾、胴六段、弦走韋獅子牡丹、綿嚙包韋胴に同じ、菜黃緒及高紐五星章、鞠鍍金、障子板包韋胴に同じく、外側に竹透彫金物を伏す。背面は押付板、八双竹彫雀鋲、逆板、總角付大座、竹雀透彫、裾金物竹雀一面に打つ、草摺五段下り、脇盾一枚、包韋獅子牡丹、梅檀板三段下り上下に竹雀の金物を伏せ、鳩尾板竹透彫金物を伏せ、居紋雀の金物。兜は黑漆二十四間、丸鉢六方白地板鐵、竹雀透彫を伏す。八幡座三重、眉庇、包韋獅子牡丹文大鍬形鍍金、鍬形臺竹彫雀の鋲を中央に打つ。大袖は七段下り袖には竹の透彫居物あり、その下に虎の居物あり。實に裝飾金物の精巧美麗を以て有名なる甲胃にして、斯くの如く大袖に居物のあるのは、靑森縣櫛引八幡宮(東北篇所載)所藏の籬菊金物の鎧に於いてこれを見るのみで、彼と是と珍重すべき双壁である。製作年代も共に鎌倉時代である。
黑革威胴丸[國寶] 一領 春日神社 傳楠正成寄進、兜大袖付、菊金具、南北朝時代
樺糸威鎧[國寶] 一領 春日神社 傳源義家所用、兜附屬、黑小札樺糸威で梅枝を現はした精巧緻密な金具を用ゐた鎌倉時代の優秀な作である。
黑韋威矢筈札胴丸[國寶] 一領 春日神社 傳楠正成寄進、兜大袖付。兜の鉢は黑漆三十二間筋鉢で、前面に鍍金鎬垂三條あり、鍬形は鍍金、胴は黑漆矢筈札で、袖は本小札を用ゐ、仕立は全部兜と同樣にして精巧な菊金具を使用せる南北朝時代の代表作である。
移鞍[國寶] 一具 手向山神社 傳天平年間製、外黑塗、內朱塗、移鞍は一に唐鞍とも稱し儀裝の馬に用ゐられるもので、神社に於ては靈代渡御の際などに使用される。この移鞍はよく古式を傳へたもので、殆んど完全して居り、熊野速玉神社の移鞍と共に故實家の重んずる所である。
第九、十、十一、十二室 この四室には繪畫が、陳列されるが、時々陳列替が行はれる。次にこれ等各室に展觀される國寶繪畫中の主要なるものを說明する。
吉祥天像[國寶] 一面 藥師寺 絹本著色、額裝、厨子入、竪一尺七寸五分、横一尺五分、豐頰婉麗な唐式美人の風貌をそなへた像である。その筆致の流麗設色の美、ともによく奈良時代繪畫の特徴を發揮せるもので、奈良時代繪畫の遺品の極めて稀なる中にあつて最も重きをなして居る。この像もと藥師寺で毎年行はれた吉祥會の本尊であつたと云ふ。
十二天像[國寶] 四幅 西大寺 絹本著色、竪各五尺二寸五分、横各四尺四寸の大幅で、唐風に做つた平安初期の代表的佛畫で、當館には十二幅中梵天、帝釋天、地天、水天の四像が出陳されて居る。
孔雀明王像[國寶] 一幅 法隆寺 絹本著色、堅三尺八寸五分、橫二尺六寸七分、平安時代に描かれた密教的圖像で現存孔雀明王像中最も古きものとして注意されて居る。
阿彌陀如來觀音勢至及持幡童子像[國寶] 三幅 法華寺 絹本著色、中幅阿彌陀如來像は竪六尺一寸六分橫四尺七寸四分、觀音勢至菩薩像は竪六尺二分、幅五尺六寸五分、持幡童子圖は竪六尺六分幅一尺七寸二分ある。寺傳に光明皇后御臨終の御時御枕邊に掲げ給ひしものと傳へて居るが、本圖は決してそれ程古いものではなく、正しく藤原時代初期に發達した淨土教の彌陀來迎圖を描いたものである。卽ちこの點に於て高野山の有名な阿彌陀佛及二十五菩薩來迎圖よりも稍古い時代のものであり、且つその描線と彩色美の優れた點が特に名高い。
志貴山緣起[國寶] 三卷 朝護孫子寺 紙本著色、信貴山毘沙門天の靈驗を描いたもので、我が國総卷物中の壓卷であり、また現存繪卷物中最古に屬するものとして名高い。卽ち藤原時代の作で人物活動の姿態を描いて寫實的眞に迫るものがあり、源氏物語繪卷と對稱さるべき傑作である。
慈恩大師像[國寶] 一幅 興福寺 絹本著色、竪八尺、橫四尺一寸二分、慈恩大師は法相宗の祖師で、慈恩會は興福寺藥師寺などで重要な法會として行はれ、この像の如きは大師の人格を躍如たらしめた藤原時代の優れた肖像畫である。
華嚴五十五所繪卷[國寶] 一卷 東大寺 紙本著色、この繪卷は善財童子が文殊菩薩の說法を聞いて發心し、五十五所の善智識を歷訪して修道すると云ふ華嚴經の說話を描いたものである。製作年代は藤原末期と認むる說もあるが、寧ろ鎌倉初期のものとなすべきであらう。
扇面法華經下繪[國寶] 十二枚 四天王寺 紙本著色、額裝、扇形の料紙に繪を描きその上に法華經を書寫したものである。繪は藤原末期のもので經意とは關係なく、主として當時の風俗を描いて居る。その人物の描寫は所謂引目鍵鼻式で、藤原時代に流行した人物描寫の形式を傳へ、且つ全體として裝飾的趣味の豐かなものである。尙ほ部分的に木版を使用して、繪の輪廓を印刷し、それに彩色を施して居ることが發見され、我が國版畫の源流をなすものとして注意されて居る。
東征繪傳[國寶] 五卷 唐招提寺 紙本著色、蓮行筆、この繪卷は唐招提寺の開祖鑑眞和尙が萬難を排して我が國に渡來した物語を鎌倉時代に描いたもので各卷に「永仁六年戊戌八月日畫六郞兵衞入道蓮行云々奉施入唐招提寺永仁六年戊戌八月日極樂律寺住持沙門忍性」と記されて居る。
五大明王像[國寶] 五幅 醍醐寺 絹本著色、忿怒相を現はした鎌倉時代の代表的明王像で、兵亂鎭伏國土守護などの祈禱に用ゐられた密教修法の本尊である。
十界圖[國寶] 五面 來迎寺 絹本著色、額裝、鎌倉時代のもので十五面のうち等活地獄、衆合地獄、人道九相、殺父業因及天道歡樂の五面が出陳されて居る。
山水圖[國寶] 八幅 靈雲院 紙本墨畫、傳狩野元信筆、室町時代の作で狩野派の基礎を造り上げた元信の筆致の見られる大作である。
瀟湘八景圖[國寶] 四幅 東海庵 紙本墨畫、傳狩野元信筆、瀟湘八景は支那の風景で室町時代以來我が漢畫家の好んで取り扱つた畫題であるが、この元信の畫には支那畫に無い日本趣味が現はれて居り、彼の代表作と見るべきものであらう。
第十三室 この室には伎樂面、舞樂面、諸寺の門額及古文書類が陳列されて居る。
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