興福寺

興福寺
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

[法相宗大本山] 奈良駅の東約1キロメートル、猿沢池畔の台地に位置し、バスの便があります。

興福寺の起源は、藤原鎌足が大化改新の成就を祈願して造られた釈迦三尊像にさかのぼります。鎌足の没後、その夫人である鏡女王が山城国宇治郡に山階寺を建立して釈迦三尊像を安置したのが始まりです。その後、この寺は奈良県の厩坂に移され、厩坂寺と呼ばれましたが、和銅3年(奈良時代、710年)の平城京遷都に際し、鎌足の子・藤原不比等によって現在の地に移され、興福寺と改称されました。

以降、興福寺は藤原氏の氏寺となり、氏神である春日大社とともに歴代の崇敬を受ける重要な寺院となりました。また、元興寺や東大寺などと並び「南都七大寺」の一つに数えられるほどの隆盛を極めました。寺の発展とともに、養老5年(奈良時代、721年)建立の北円堂、神亀3年(奈良時代、726年)建立の東金堂、天平2年(奈良時代、730年)建立の五重塔、天平6年(奈良時代、734年)建立の西金堂、弘仁4年(平安時代、813年)建立の南円堂など、多くの堂塔が整備されました。

しかし、幾度もの火災により、当初の堂宇はほとんど焼失し、現在の建物は鎌倉時代以降の再建されたものばかりです。それでも寺宝には当時の栄華をしのばせる貴重な品々が多く残されています。現在、興福寺を代表する建造物としては、五重塔、東金堂、南円堂、北円堂、三重塔などがあります。

五重塔[国宝] 石壇の上に建ち、各層が3間四方で本瓦葺き、軒は二重繁垂木という構造になっています。その高さは約50メートルに及び、京都の東寺五重塔に次いで国内第2位の高さを誇ります。創建は天平2年(奈良時代、730年)ですが、兵火や雷火により何度も焼失し、現在の塔は応永33年(室町時代、1426年)に再建されたものです。この塔は室町時代の建築として、各層のバランスが美しく、重厚で復古的な建築として評価されています。また、塔前には天平時代に作られた石灯籠の基礎が現存しています。

東金堂[国宝] 五重塔の北側に位置する東金堂は、もともと聖武天皇が元正天皇の病気平癒と国家の安全を願い建立したのが始まりです。建物はその後も何度か焼失しましたが、現在の建物は応永22年(室町時代、1415年)に再建されたものです。建築様式は7間四面の単層で、屋根は四注造、本瓦葺きとなっています。また、組物には和様の三手先(みてさき)が採用され、豪壮かつ雄大な風格が特徴的です。内陣には五間二面の須弥壇が設けられ、貴重な仏像が安置されています。

薬師如来および両脇侍像[国宝] 東金堂の本尊であり、須弥壇の中央に安置されています。中尊の高さは約2.7メートル、脇侍は約2.6メートルで、いずれも金銅製です。建物と同時代に作られた天平復古の作品と考えられますが、天平彫刻特有の雄大さは完全には再現されていません。

十二神将立像[国宝] 木造で全12体あります。そのうち3体は奈良博物館に、3体は宝蔵に保管され、ここには6体が安置されています。12体すべてが同じ作者によるものではありません。波夷羅大将像の右足部分には「建永二年(鎌倉時代、1207年)四月廿日」の墨書銘があり、鎌倉時代初期の新たな技法で制作されたことが分かります。それぞれの像には個性があり、装飾的な表現が特徴的です。この十二神将像は、薬師如来ではなく文殊菩薩に付属するものとして作られたことが銘文から確認されています。

文殊菩薩坐像[国宝] 木造着色で、奈良国立博物館に出品されている維摩居士像と対をなす二聖問答の像です。鎌倉時代に運慶一派による彫刻技法で制作され、装飾や彩色が一部残っています。如意には寛永13年(江戸時代、1636年)の銘があります。

四天王立像[国宝] 須弥壇の四隅に立っています。木彫に乾漆の技法を取り入れたもので、天平彫刻の余韻を感じさせる平安時代初期の作品です。重厚で力強い威厳を備えています。

釈迦如来坐像[国宝] 2体あり、須弥壇の左側に安置されています。流れるような技法で彫られ、藤原時代末期の特徴をよく示しています。

金堂 東金堂の北西に位置し、和銅3年(奈良時代、710年)に創建されたと伝えられていますが、現在の建物は文政2年(江戸時代、1819年)に建てられた仮堂のままです。本尊として釈迦如来を安置しています。この本尊は応永年間(室町時代、1394~1428年)の作品で、芸術的価値は高くありませんが、その左右には優れた仏像が安置されています。

阿弥陀如来坐像[国宝] 木造で、定朝様式を受け継いだ鎌倉時代の作品です。院尊の作と伝えられています。

千手観音立像[国宝] 旧食堂の本尊です。木造で高さは約5.2メートル、玉眼が施されています。調和の取れた優美な表情が特徴で、安阿弥の作と伝えられています。

薬王薬上菩薩立像[国宝] 木造漆箔で、高さはそれぞれ約3.3メートルです。胎内の銘札から、建仁2年(鎌倉時代、1202年)の作品であることが分かります。寺ではこれを日光・月光菩薩として伝えています。

梵天帝釈天立像[国宝] 木造彩色で、それぞれの高さは約1.2メートルです。藤原時代の様式を伝える鎌倉初期の作品とされています。

吉祥天坐像[国宝] この像は厨子に納められ、須弥壇上に安置されています。天衣には非常に精巧な彩色文様が施されており、鎌倉時代末期の暦応年間(南北朝時代、1338~1342年)の作とされています。厨子も同時代のもので、内側には梵天や帝釈、白象、山水などが彩画されています。

四天王立像[国宝] 木造で彩色文様が施され、藤原時代末期の作品です。

南円堂 金堂の南西に位置する南円堂は、弘仁4年(平安時代、813年)に藤原冬嗣が創建したと伝えられています。現在の建物は江戸時代の寛保元年(1741年)に再建されたもので、約180年ほどの歴史を持っています。本尊は不空羂索観音像で、西国三十三所の第九番札所としても有名です。本尊の周囲には四天王像や法相宗六祖像が安置され、これらはいずれも鎌倉時代の傑作とされています。

不空羂索観音坐像[国宝] 南円堂の本尊であり、八角形の須弥壇の中央に安置されています。木造で漆箔仕上げの八臂像です。この像は古く藤原氏の守護本尊であったとされます。高さは約3.3メートルあり、運慶の父である康慶の作と伝えられています。鎌倉初期の写実的な彫刻技術の先駆けといえる作品で、表情は非常に穏やかです。

四天王立像[国宝] 4体すべて木造で、それぞれの高さは約2.4メートルです。これも康慶の作と考えられており、非常に躍動感にあふれています。

法相六祖坐像[国宝] 法相宗の六祖である神叡、常騰、行賀、玄賓、玄昉、善珠の像で、須弥壇の周囲に安置されています。いずれも木造で高さは約0.9メートル以下、玉眼を嵌入した像です。これも康慶の作と見られますが、前述の像と比べるとやや技巧に劣るとされています。

南円堂銅灯台[国宝] 南円堂の正面に立つ美しい銅製の灯籠です。弘仁7年(平安時代、816年)に藤原真夏によって奉納されたもので、全体的に清楚で端麗な雰囲気を漂わせています。火屋の扉は6面中4面が現存し、現在は奈良国立博物館に展示されています。これらの扉には銘文が刻まれ、橘逸勢や空海の筆によるものとも伝えられています。

北円堂[国宝] 南円堂の西北に位置する八角円堂です。養老5年(奈良時代、721年)、長屋王が元明天皇と元正天皇の勅命を受け、不比等の追善供養のために建立したのが北円堂の始まりとされています。その後、数度にわたる焼失を経て、現在の堂は鎌倉時代に再建されたものであり、約700年の歴史があります。建築様式は単層で、屋根は八注造、円柱が立ち並び、桝組には和様三手先が用いられています。内陣の須弥壇には弥勒三尊像が安置されています。本尊は木造漆箔の弥勒菩薩像であり、運慶作であることが確実とされています。漆箔も良好に保存されており、国宝に指定されています。両脇侍像は室町時代の作とされています。

三重塔[国宝] 南円堂の背後、一段低い場所に建っているため見過ごされやすい建築ですが、鎌倉時代の優れた建築物です。木組みは非常に繊細で、軒、組物、屋根、勾欄の調和が非常に美しく、平安時代末期の風格を色濃く残しています。内部は極彩色で、仏菩薩や実相華文様が描かれており、華美な装飾が施されています。また、須弥壇の後壁には千体仏が描かれた跡が残っています。

  • 宝物
  • 以下の宝物は寺務所内の宝蔵に展示されています。
  • 弥勒菩薩半跏像[国宝] 1体 春日厨子に納められており、木造漆箔で玉眼が嵌め込まれています。鎌倉時代の作であり、厨子も同時代のものです。厨子の内部には法相宗の祖、四天王、不動明王などの像が描かれています。
  • 仏頭[国宝] 1つ 木造で高さは約75センチメートル(約2尺5寸)です。西金堂の本尊の仏頭と伝えられています。
  • 化仏および飛天 11体 かつて西金堂の本尊の光背に付属していたものとされています。化仏が3体、飛天が8体あり、いずれも木造漆箔で高さは30センチメートルから45センチメートル(約1尺から1尺5寸)です。藤原時代の特色を見事に表現した優れた作品です。
  • 銀鋺[国宝]10個 金堂の土壇中から発見された鎮壇具で、いずれも和銅3年(奈良時代、710年)に埋納されたものです。表面には魚々子地に唐草、飛鳥、宝相華などの美しい毛彫りが施されています。
  • 聖観音立像[国宝]木造 1体 全身が金泥で塗られ、玉眼が嵌め込まれています。室町時代の作です。
  • 釈迦如来立像[国宝]木造 1体 仏身は金色で、極彩色の截金文様が施されています。白毫や玉眼が嵌め込まれた鎌倉時代初期の作品です。
  • 以下の宝物は奈良国立博物館に出品されています。
  • 二天王像[国宝]絹本著色 2幅
  • 慈恩大師像[国宝]絹本著色 1幅
  • 護法善神図絵扉[国宝] 5面
  • 世親・無著二菩薩立像[国宝]木造著色 2体
  • 四天王立像[国宝]乾漆造 4体 定朝作と伝えられています。
  • 釈迦如来坐像[国宝]木造 1体 定朝作と伝えられています。
  • 金剛密迹二力士立像[国宝] 木造 2体
  • 維摩居士坐像[国宝]木造著色 1体 運慶作と伝えられています。
  • 十二神将立像[国宝]木造 9体
  • 龍燈鬼・天燈鬼[国宝]木造 2体 康弁作です。
  • 十二神将像[国宝]板彫 4枚 弘法大師作と伝えられています。
  • 十大弟子立像[国宝]乾漆 4体
  • 八部衆立像[国宝]乾漆 7体
  • 帝釈天立像[国宝]木造 1体
  • 多聞天立像[国宝]木造 1体
  • 地蔵菩薩立像[国宝]木造 1体
  • 華原馨[国宝]銅造 1基
  • 銅鐘[国宝] 神亀4年(奈良時代、727年)銘 1口
  • 南円堂銅灯籠扉[国宝]4枚 弘仁7年(平安時代、816年)の銘があります。
  • 金剛般若波羅蜜経[国宝] 1巻 紺紙金泥に書かれ、康永2年(南北朝時代、1343年)に二条関白良基の願文が添えられています。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
興福寺境内平面図

令和に見に行くなら

名称
興福寺
かな
こうふくじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
奈良県奈良市登大路町48
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

[法相宗大本山] 驛の東約一粁、猿澤池畔の臺地にあり、自動車の便がある。

當寺の起源は藤原鎌足が大化改新の成就をひそかに祈願して造つた釋迦三尊像を、鎌足の歿後夫人鏡女王が山城宇治郡山階寺を建立して安置せしに始まる。その後本寺は大和の廐坂に移され、廐坂寺と稱されたが、更に和銅三年平城奠都にあたり、鎌足の子不比等によつて今の地に移され、興福寺となつた。爾來本寺は藤原氏の氏寺となり、やがて藤原氏の榮ゆるまゝに、氏神春日神社と共に歷代の崇敬厚く元興、大安、藥師、東大の諸寺と相竝んで、南都七大寺の列に加つた。その間北圓堂(養老五年)、東金堂(神龜三年)、五重塔婆(天平二年)、西金堂(天平六年)、講堂(天平十八年)、南圓堂(弘仁四年)等が次第に造立されて伽藍も整備した。

その後幾度かの火災に、當初の堂字は大方燒亡し、現存の堂塔は何れも鎌倉以後のものばかりであるが、寺寶にはさすがに當時を偲ぶべきものが少くない。さて現存堂宇の主要なるものには五重塔婆、東金堂、南圓堂、北圓堂及三重塔婆等がある。

五重塔[國寶] 石壇上に立ち、各層方三間本瓦葺、軒二重繁棰、高さ百六十五尺あり、京都東寺の五重塔につぐ高塔で、我が國現存の塔中その高さに於て第二位を占めて居る。創建は天平二年であるが、兵火或は雷火のため數回燒失、今のは應永三十三年の再建にして室町時代の建築としては各層の均衡宜しく、重厚の外觀を備へた復古建築である。尙塔前には天平年間に作られた石燈籠の基礎が殘つて居る。

東金堂[國寶] 五重塔の北にあり、もと聖武天皇が元正天皇の御惱平癒、國家安全のために建立されたのに始まるが、創建以來數度燒失し、今の建物は應永二十二年に再建されたものである。七間四面、單層、屋根四注造、本瓦葺、桝組には和樣三手先を用ゐて居る。細部には再建當時の手法を示して居るが、全體に於て豪壯雄大な風格を存し、またその外形が四注造であり前列の柱が吹放であること等に於て、天平の古樣を傳へた復古的和樣建築として貴重なものである。內陣は五間二面、中央に長い須彌壇を設け、左記の佛像が安置されて居る。

藥師如來及兩脇侍像[國寶] 東金堂の本尊で須彌壇の中央に安置されて居る。中尊高さ八尺九寸脇侍八尺五寸、何れも金銅製で、建物と同時代に天平復古の意味を以て作られたものと思はれるが、天平彫刻の雄大な趣は再現されて居ない。

十二神將立像[國寶] 木造、十二軀のうち奈良博物館に三軀、寶藏に三軀、こゝには六軀ある。而して十二軀が同一人の手に成つたものではない。波夷羅大將像の右足の墨書銘に建永二年四月廿日と記され、鎌倉初期新興の技風になつた作で、各像の姿態に一々の變化があり、かつ裝飾的に出來て居る。この十二神將像は藥師佛の脇侍でなく文殊菩薩に附屬するものとして作られたことが銘文で知られる。

文殊菩薩坐像[國寶] 木造著色、奈良帝室博物館出陳の維摩居士像と一對を成し、二聖問答の像である。鎌倉時代に於ける運慶一派の刀法になる作で、裝飾彩色が殘つて居る。如意には寛永十三年の銘がある。

四天王立像[國寶] 須彌壇の四隅に立つて居る。木彫の中に乾漆の手法を混用したもので、天平彫刻の餘風を傳へた平安初期の作である。重厚にして雄渾の威容を備へて居る。

釋迦如來坐像[國寶] 二軀あり、須彌壇の左手に安置されて居る。手法流麗にして藤原時代末期の作風が見られる。

金堂 東金堂の西北にあり、和銅三年の創建と傳へて居るが、今の堂は文政二年に建てた假堂の儘で、釋迦如來を本尊として安置して居る。この本尊は應永年間の作で藝術上の價値は少いが、その左右には優秀な諸佛の像が安置されて居る。

阿彌陀如來坐像[國寶] 木造にして定朝の樣式を繼承した鎌倉時代の作で、院尊の作と傳へて居る。

千手觀音立像[國寶] 舊食堂の本尊である。木造高さ十七尺玉眼を有し、相好圓滿にして安阿彌の作と傳へて居る。

藥王藥上菩薩立像[國寶] 木造漆箔高さ各一丈一尺九寸、胎内の銘札によつて建仁二年の作であることが判る。寺傳には日光月光の像と稱して居る。

梵天帝釋天立像[國寶] 木造彩色、高各四尺、藤原の樣式を傳へた鎌倉初期の作である。

吉祥天坐像[國寶] 厨子に納めて須彌壇上に安置されて居る。天衣の全面に精巧な彩色文樣があり、鎌倉末期曆應年間の作である。厨子も同時代の作で內側に梵天、帝釋、白象、山水等の彩畫がある。

四天王立像[國寶] 木造にして彩色文樣あり、藤原末期の作である。

南圓堂 金堂の西南にあり、弘仁四年藤原冬嗣の創建と傳へて居る。今の堂は江戶時代寛保元年の再建で百八十餘年を經過せるに過ぎないが、本尊不空羂索觀音像は鎌倉時代の作で、西國三十三所第九番の觀音として名高い。また本尊の周圍には四天王及法相六祖の像が安置されて居るが、何れも鎌倉時代の傑作である。

不空編索觀音坐像[國寶] 南圓堂の本尊で、八角形須彌壇の中央に安置されて居る。木造、漆箔八臂の像で、古く藤原氏の守本尊であつた。高さ十一尺餘、運慶の父康慶の作にかゝり、鎌倉初期に於ける寫實的刀法の先軀をなすもので、面貌頗る穩かである。

四天王立像[國寶] 四軀とも木造高さ約八尺、これも康慶の作と思はるゝもので、活氣が旺溢して居る。

法相六祖坐像[國寶] 法相宗の六祖神叡、常騰、行賀、玄賓、玄肪、善珠の像で、須彌壇の周圍に安置されて居る。何れも木造、高さ三尺以下、玉眼嵌入の像で、これまた康慶の作と見られて居るが、前記の諸像に比べると稍劣つて居る。

南圓堂銅燈臺[國寶] 南圓堂の正面に立つて居る美しい燈籠である。弘仁七年藤原眞夏の奉獻したもので、全體として頗る清楚端麗の氣に富んで居る。火舍の扉は六面中四面遺存して居るが、全部奈良帝室博物館に出陳されて居る。その扉には銘文が鑄出されて居るが、橘逸勢或は空海の筆と傳へられて居る。

北圓堂[國寶] 南圓堂の西北にある八角圓堂である。養老五年長屋王が元明元正兩帝の勅を奉じて、不比等追善のために建立したのが北圓堂のはじめである。その後數度燒失し、今の堂は鎌倉時代の再建で凡そ七百年を經て居る。單層、屋根八注造、圓柱を建て、桝組には和樣三手先を用ゐて居る。內陣須彌壇には彌勒三尊の像が安置されて居る。兩脇侍は室町時代の作であるが、本尊は木造漆箔、運慶作の確證あるものとして名高く、漆箔もまたよく保存され、國寶に指定されて居る。

三重塔婆[國寶] 南圓堂の後方一段低い所に建つて居るため見落され易いが、鎌倉時代の美建築である。木割極めて纎細、軒、組物、屋根、勾欄の調子頗る優美で、平安末期の風格を備へて居る。內部は極彩色で佛菩薩實相華文樣を描いた華美な裝飾を施し、須彌壇の後壁には千體佛を描いたあとが殘つて居る。

  • 寶物
  • 左記寶物は寺務所內の寶藏に陳列
  • 彌勒菩薩半跏像[國寶]一軀 春日厨子入、木造漆箔、玉眼嵌入、鎌倉の作である。厨子も同時代のもので内部には法相宗祖、四天王及不動明王等の像が描かれて居る。
  • 佛頭[國寶]一箇 木造高さ約二尺五寸西金堂本尊の佛頭と傳へて居る。
  • 化佛及飛天 十一軀 もと西金堂本尊の光背に附屬して居たものと傳へて居る。化佛三軀飛天八軀あり、何れも木造漆箔にして高さ一尺乃至一尺五寸ある。その作頗る優秀にしてよく藤原時代の形式を發揮して居る。
  • 銀鋺[國寶]十箇 金堂土壇中から發見された鎭壇具であつて何れも和銅三年に埋納されたものである。魚々子地に唐草、飛鳥、寶相華などの美しい毛彫がある。
  • 聖觀音立像[國寶]木造 一軀 全身金泥塗り、玉眼嵌入、室町時代の作。
  • 釋迦如來立像[國寶]木造 一軀 佛身金色、極彩色截金文、白毫玉眼嵌入、鎌倉初期の作。
  • 左記寶物は奈良帝室博物館へ出陳
  • 二天王像[國寶]絹本著色 二幅
  • 慈恩大師像[國寶]絹本著色 一幅
  • 護法善神圖繪扉[國寶] 五面
  • 世親無著二菩薩立像[國寶]木造著色 ニ軀
  • 四天王立像[國寶]乾漆造 四軀 傳定朝作
  • 釋迦如來坐像[國寶]木造 一軀 傳定朝作
  • 金剛密迹二力士立像[國寶]木造 二軀
  • 維摩居士坐像[國寶]木造著色 一軀 傳運慶作
  • 十二神將立像[國寶]木造 九軀
  • 龍燈鬼天燈鬼[國寶]木造 二軀 康辨作
  • 十二神將像[國寶]板彫 四枚 傳弘法大師作
  • 十大弟子立像[國寶]乾漆 四軀
  • 八部衆立像[國寶]乾漆 七軀
  • 帝釋天立像[國寶]木造 一軀
  • 多聞天立像[國寶]木造 一軀
  • 地藏菩薩立像[國寶]木造 一軀
  • 華原馨[國寶]銅造 一基
  • 銅鐘[國寶] 神龜四年銘 一ロ
  • 南圓堂銅燈籠扉[國寶]四枚 弘仁七年の銘あり
  • 金剛般若波羅蜜經[國寶]一卷 紺紙金泥、康永二年二條關白良基の願文がある

奈良駅周辺のみどころ