新薬師寺

新藥師寺
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

[華厳宗] 駅から東へ3km、高畑町にあります。バスでのアクセスが可能です。

この寺は元々東大寺の別院で、香薬師寺とも呼ばれていました。奈良時代の天平年間に、聖武天皇の皇后である藤原光明子が、天皇の眼病平癒を祈願して建立し、七仏薬師を安置したと伝えられています。

現存する本堂は天平時代の建物です。地蔵堂、鐘楼、南門、東門は鎌倉時代の建築となっています。また、当寺が所蔵する仏像や仏画には、飛鳳時代から天平、平安、藤原時代に至るものがあります。

南門[国宝] 切妻造りの屋根に本瓦葺きの四脚門で、構造はシンプルながら雄大で力強い鎌倉時代の建築です。

本堂[国宝] 南門を入ると正面に南を向いて建っており、奈良時代の天平時代の創建当初の様式や手法を比較的よく保存している建築です。七間五面、単層屋根入母屋造り、本瓦葺きで、構造はシンプルですが全体のバランスが良く、細部の木組みが大きいため非常に雄大な印象があります。内部の構造も大胆な造りとなっています。床は瓦敷きで、周囲一間を外陣とし、内陣の中央には白漆喰で円形の土壇が築かれています。壇上には本尊薬師如来を安置し、周囲に十二神将を配置しています。このような円壇の様式は他に例がなく、仏像の配置と相まって大変趣深いものとなっています。

本尊薬師坐像[国宝] 高さ約1.9メートルで、珍しい一木造りの巨像です。左手を膝の上に置いて薬壺を持ち、右手は胸の横に上げて説法印を結んでいます。大きな目と厚い唇を持ち、威厳のある表情と荘厳な姿は、奈良時代の手法を上手く取り入れた平安時代初期の傑作です。光背は木造の二重光背で、左右にそれぞれ三体の化仏が表されています。

十一面観音立像[国宝] 2軀あり、木造彩色です。寺伝では日光(高さ約1.77メートル)と月光(高さ約1.85メートル)と呼ばれ、本尊の左右に安置されていますが、この本尊の脇侍として制作されたものではありません。どちらも平安時代の作で、月光と呼ばれる方は、波打つような衣のひだや姿態に平安初期の様式が見られます。日光と呼ばれる方は、それよりもやや後の時代のものです。衣の文様と光背に施された花文様の彩色は非常に華麗で、台座にも古い様式が見られます。

十二神将立像[国宝] 1体は木造で、近世の補作です。他の11体はいずれも等身大の著色塑像で、もともと大和の岩淵寺にあったものを、同寺が荒廃したために移されたと伝えられています。忿怒勇躍とした活動的な姿態に富み、彩色も豪華絢爛です。近年発見された因陀羅大将台座の墨書銘からも分かるように、奈良時代の天平末期の優秀な作品です。

地蔵堂[国宝] 本堂の前面右手にあり、一辺が一間、単層、入母屋造の屋根、本瓦葺の小さな建築です。軒周りが完備していて軽快かつ自由な印象を与え、蟇股の形状も優雅で、鎌倉時代初期の建物です。

鐘楼[国宝] 本堂の前面左手にあり、三間二面、入母屋造の屋根に本瓦葺、腰下は白壁で亀腹形をなしています。通常の羽目板張りの袴腰とは異なる珍しい遺構です。軒の出とその反転、そして亀腹の張り出しのバランスが良く、非常に安定感のある姿を保っており、軽快な印象を与える鎌倉時代の美しい建築です。この鐘楼に掛かっている銅鐘は元興寺から移されたもので、形は細長く非常に簡素で、龍首は古様な趣に富んでおり、奈良時代の天平初期の作品と考えられます。現在は国宝に指定されています。

東門[国宝] 本堂の東側にあり、切妻造の屋根、本瓦葺の四脚門で、構造も非常に簡潔で、形態の整った鎌倉時代の門です。

  • 宝物
  • 薬師如来立像[国宝]1軀 青銅製で高さ約73センチ、香薬師と称され、寺伝では聖武天皇の念持仏とされています。目鼻の輪郭は稜形をなして線の美しさを保ち、平行的な衣文を透して見える肉付きはなだらかで、衣褶の手法も自由です。口元には微笑みを湛え、清楚な風格を備えた白鳳時代の典型的な作品で、庫裡に隣接する宝形造の小堂に安置されています。
  • 以下奈良帝室博物館出展。
  • 仏涅槃図[国宝]1幅 絹本著色、平安時代
  • 千手観音立像[国宝]木造 1軀
  • 不動明王二童子立像[国宝]木造 3軀
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
新薬師寺十二神将像

令和に見に行くなら

名称
新薬師寺
かな
しんやくしじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
奈良県奈良市高畑町1352
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

[華嚴宗] 驛の東三粁。高畑町にあり、自動車の便がある。

當寺はもと東大寺の別院で、一に香藥師寺と稱し、天平年間聖武天皇の皇后、藤原光明子が天皇の御眼病平癒を祈るため建立して、七佛藥師を安置し給ひしと傳ふ。

現存の本堂は天平當時の建物で、その他地藏堂、鐘樓、南門、東門は鎌倉時代の建築である。また當寺所藏の佛像佛畫の類には、白鳳期より天平、平安、藤原時代に屬するものがある。

南門[國寶] 屋根切妻造、本瓦葺の四脚門で、構造簡潔ながら雄大勁健な鎌倉時代の建築である。

本堂[國寶] 南門を入ると正面に南面して建つ、天平時代創建當初の樣式手法を比較的によく保存せる建築である。七間五面、單層屋根入母屋造、本瓦葺、構造簡單なれども全體の權衡宜しきに適ひ、細部の木割大なるを以て頗る雄大の風があり、內部は構架の法甚だ大膽である。床は瓦敷にして周圍一間を外陣となし、內陣の中央には白漆喰で圓形の土壇が築かれ、壇上に本尊藥師如來を安置し、周圍に十二神將を配する。かゝる圓壇の制は他に類例なく、佛像の配置と相待つて頗る感興を惹くものである。

本尊藥師坐像[國寶] 高六尺三寸、稀に見る一木造中の巨像で、左手を膝上に安じて藥壺を持ち、右手は胸側にあげて說法の印を結んで居る。大な眼、厚き唇を持ち、面貌の雄偉にして表情姿態の莊重なるはよく奈良時代の手法を適宜に參酌した平安時代初期の名作である。光背は木造の二重光背で左右に各三體の化佛を現はして居る。

十一面觀音立像[國寶] 二軀、木造彩色、寺傳に日光(高五尺八寸五分)月光(高六尺一寸)と稱し、本尊の左右に安置されて居るが、この本尊の脇侍として造立されたものでない。共に平安時代のもので、月光と呼ばるゝ方は、その飜波式の衣褶にもその姿態にも、平安初期の樣式が認められ、日光と呼ぶ方は時代が稍下るのである。衣文と光背とに施された花文經綱彩色は頗る華麗で臺座にも古い樣式を示して居る。

十二神將立像[國寶] 一體は木造で、近世の補作である。他の十一體は何れも等身大の著色塑像にして、もと大和の岩淵寺にあつたものを同寺荒廢のために移されたのであると云ふ。忿怒勇躍、活動的姿態に富み、彩色富麗、近年發見された因達羅大將臺座の墨書銘でも知られる如く、天平末期の優秀な作である。

地藏堂[國寶] 本堂の前面右手にあり、方一間、單層、屋根入母屋造、本瓦葺の小建築であるが、軒廻完備して輕快自由、蟇股の形狀優雅にして鎌倉初期の建物である。

鐘樓[國寶] 本堂の前面左手にあり、三間二面、屋根入母屋造本瓦葺、腰下は白壁で龜腹形をなし、普通の羽目板張の袴腰とは異り類例稀なる遺構である。軒の出とその反轉と龜腹の張りとの權衡よろしくして頗る安定の姿態を保ち、輕快の感ある鎌倉時代の美建築である。この鐘樓にかゝつて居る銅鐘は元興寺から移されたもので、形細長く甚だ簡素で龍首頗る古樣に富み、天平初期の作品たるを思はしめる。今國寶である。

東門[國寶] 本堂の東側にあり、屋根切妻造、本瓦葺の四脚門で、構造また極めて簡潔、形態のよく整つた鎌倉時代の門である。

  • 寶物
  • 藥師如來立像[國寶]一軀 靑銅製高二尺四寸、香藥師と稱し、寺傳に聖武天皇の念持佛と云ふ。目鼻の輪廓稜形をなして線の美しさを保ち並行的な衣文を透して見る肉付なだらかにして衣褶の手法自由で口邊に微笑を湛へ清楚な風格を備へた白鳳時代の典型的な作で庫裡に隣接せる寶形造の小堂に安置されて居る。
  • 以下奈良帝室博物館出陳。
  • 佛涅槃圖[國寶]一幅 絹本著色、藤原時代
  • 千手觀音立像[國寶]木造 一軀
  • 不動明王二童子立像[國寶]木造 三軀

奈良駅周辺のみどころ