修善寺温泉

修善寺溫泉
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

駿豆鉄道修善寺駅の西南2km、自動車の便があります。達磨山から流れ出た桂川が清流町の中央を西から東に貫流し、流れを挟んで湯宿が軒を連ねていて、南と北には木立が繁る丘陵があり山水双美の温泉境をなしています。温泉の発見はかなり古く、修禅寺縁起によれば同寺は平安時代の大同年間(806~810年)、弘法大師の草創と伝わり、その時桂川の河中に霊泉が湧いているのを発見して、里人に入浴治病の法を教えたのが今の独鈷の湯の起こりだという伝説が信じられています。鎌倉時代にはその名は広く知られ、一種の療養所のようで、源範頼、二代将軍源頼家はともにここに幽閉されて悲劇の舞台となりました。温泉は独鈷の湯、石湯、稚児の湯、白糸の湯、箱湯などは泉源が河中にあり、安山岩の地裂線から自噴していますが、主な旅館には皆内湯をもっています。泉質はいずれも無色無臭の弱塩類泉でラドン含有量8.5マッヘ、温度48~82度、リウマチ、神経諸病、呼吸器病、胃腸病、婦人病、皮膚病などに効くといいます。

付近の名勝には修禅寺、母政子が源頼家の冥福を祈るために、宋板一切経を納めて建立した経堂指月殿。その経堂の左側にある源頼家の墓、戸田街道の小山にある源範頼の墓と伝わるもの、塔ノ峰にある頼家の侍臣の墓と伝わる十三人塚。日枝神社、修善寺公園、嵐山の桜花、富士の見える梅園、長寿園不老の滝などがあります。旅館は菊屋、新井、浅羽、野田屋、仲田屋、橋本屋、四方楼、柏屋、水月屋、福寿館、月の家ほか数軒。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
修善寺温泉

令和に見に行くなら

名称
修善寺温泉
かな
しゅぜんじおんせん
種別
温泉
状態
現存し見学できる
住所
静岡県伊豆市修善寺
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同修善寺驛の西南二粁、自動車の便がある。達磨山から流れ出た桂川の淸流町の中央を西から東に貫流し、流を挾んで浴樓軒を列ねて櫛比し、南と北は木立茂れる丘陵を控へて山水雙美の溫泉境をなして居る。溫泉の發見は可なりに古く、修禪寺緣起によれば同寺は大同年閒、弘法大師の草創と傳へ、その時桂川の河中に靈泉の湧くを發見して里人に入浴治病の法を敎へたのが今の獨鈷の湯の起りだと云ふ傳說が信ぜられて居る。鐮倉時代にはその名世に著ばれ、一種の療養所の觀あり、源範賴、二代將軍源賴家は共にこゝに幽閉せられて悲劇の舞臺となった。溫泉は獨鈷の湯、石湯、稚兒の湯、白絲の湯、箱湯などは泉源河中にあり、安山岩の地裂線から自噴して居るが、主なる旅館には皆內湯をもつて居る。泉質はいづれも無色無臭の弱鹽類泉でラヂウムエマナチオン含有量八、五マツヘ、溫度百二十度乃至百八十度、リウマチス、神經諸病、呼吸器病、胃腸病、婦人病、皮膚病などに效くと云ふ。

附近の名勝には修禪寺、母政子が源賴家の冥福を祈る爲に、宋板一切經を藏めて建立した經堂指月殿。その經堂の左側にある源賴家の墓、戶田街道の小山にある源範賴の墓と傳ふるもの、塔ノ峰にある賴家の侍臣の墓と傳ふる十三人塚。日枝神社、修善寺公園、嵐山の櫻花、富士の見える梅園、長壽園不老の瀧などがある。旅館 菊屋、新井、淺羽、野田屋、仲田屋、橋本屋、四方樓、柏屋、水月屋、福壽館、月の家外數軒。

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