願成就院

願成就院[眞言宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

駿豆鉄道伊豆長岡駅の北約1km、韮山村寺家にあります。ここは鎌倉時代の文治5年(1189年)北条時政が奥州征伐の戦勝を祈るために建立した寺で、当時阿弥陀三尊と不動・多聞天の両像を安置したことが吾妻鏡に記されています。この仏像のうち阿弥陀像だけは現在も残っていて国宝に指定されています。ほかの諸像はすべて失われてしまいましたが、不動・多聞天の両像が江戸時代後期の宝暦2年(1752年)北条美濃守氏真によって修理された際、両像の胎内から塔婆形の銘札が発見されました。この銘札のみが今に残っていて、国宝に指定されています。銘札は高さ約72cm、幅約9cm、厚さ約12cm、2枚とも同じ形で上部は五輪塔の形をしていて、水輪にある小孔にはもと舎利が納められていたと伝わります。表面には宝篋印陀羅尼の梵文を墨書し、裏面には次の文が同じく墨書されています。

文治二年歳次丙午五月三日奉始之 巧師勾当運慶 檀越平朝臣時政 執筆 南無観音

この背記で見ると、運慶は北条時政と並んで、巧師勾当という珍しい肩書を冠して仏師の棟梁として控えています。すなわちこの銘札は仏師運慶が関東方面で活動していた史実を証明する最も有力なもので、彼の造像に関する確実な資料として尊重すべき価値があります。

阿弥陀坐像[国宝] 本堂に安置されています。木造で高さ約1.7m、上品中生の印を結び、彫法は力強く運慶一流の作と感じさせるもので、確かに鎌倉時代の遺品です。なお境内に北条時政の墓と伝わるものがあります。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
願成就院
かな
がんじょうじゅいん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
静岡県伊豆の国市寺家83-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同伊豆長岡驛の北約一粁、韮山村寺家にある。當寺は文治五年北條時政が奧州征伐の戰勝を祈るために建立した寺で、當時阿彌陀三尊及不動、多聞天の兩像を安置したことは吾妻鏡に見えて居る。この佛像のうち阿彌陀像だけは今に存し國寶に指定されて居る。他の諸像は悉く失はれたのであるが、不動、多聞天の兩像が寶曆二年北條美濃守氏眞に依つて修理せられた時、兩像の胎內から塔婆形の銘札が發見された。この銘札のみ尙存して、國寶に指定されて居る。銘札は高さ約七二糎(二尺三寸七分)幅約九糎(三寸)、厚約一二糎(四分)、二枚とも同形にして上部は五輪塔の形をなし、水輪にある小孔にはもと舍利が納められてあつたと云ふ。表面には寶篋印陀羅尼の梵文を墨書し、裏面には次の文が同じく墨書されて居る。

文治二年歲次丙午五月三日奉始之 巧師勾當運慶 檀越平朝臣時政 執筆 南無觀音

この背記で見ると、運慶は北條時政と相竝び、巧師勾當と云ふ珍しい肩書を冠し佛師の棟梁として控へて居る。卽ちこの銘札は佛師運慶が關東方面に活動した史實を證明する最も有力なるもので、彼の造像に關する確實なる資料として尊重すべき價値がある。

阿彌陀坐像[國寶] 本堂に安置されて居る。木造高さ約一米七(五尺五寸)上品中生の印を結び、彫法遒勁にして運慶一流の作たるを思はしむるもので慥に鐮倉時代の遺品である。尙境內に北條時政の墓と傳ふるものがある。

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