韮山城跡

韮山城址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

駿豆鉄道韮山駅の東約1km、韮山中学校の背後の丘陵がそれです。丘の上には本丸、二の丸、三の丸跡とされるところがあり、丘の麓には堀の一部が残っています。城は堀越御所があった頃に築いたところと伝わり、室町時代の長享年間(1487~1489年)には北条長氏が居城としましたが後に小田原に移り、その後は北条氏の属城となりました。安土桃山時代の天正18年(1590年)に豊臣秀吉の所有となり、慶長5年(1600年)関ヶ原の後に廃城となりました。堀越御所は室町時代の長禄元年(1457年)足利義政の弟政知が京都から下って滞在したところで、その遺跡と伝わる地が韮山村の守山にありますが、数個の礎石が残るのみです。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
韮山城跡
かな
にらやまじょうせき
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
静岡県伊豆の国市韮山438-3
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同韮山驛の東約一粁、韮山中學校背後の丘陵がそれである。丘上には本丸、二の丸、三の丸址と稱する所があり、丘麓には濠の一部が殘つて居る。城は堀越御所の時築く所と傳へ、長享年閒には北條長氏ここに居りしが後小田原に移り、その後は北條氏の屬城となつた。天正十八年に豐臣秀吉の有に歸し、慶長五年關原役後廢城となる。堀越御所は長祿元年足利義政の弟政知が京都より下りて居りし所、その遺址と傳ふる地が韮山村の守山にあるが、數個の礎石を存するのみである。

三島・伊豆のみどころ