韮山反射炉

反射爐址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

駿豆鉄道伊豆長岡駅の東1.2km、韮山村中鳴滝にあり、反射炉は江川太郎左衛門英竜が幕府に建議して江戸時代末期の安政2年(1855年)に造営、以来明治維新までに大小砲数百門を鋳造したものです。後に荒廃していましたが、その遺跡は陸軍省の所轄に移り、高さ16mの煙突と長さ5.6m、幅5mの炉跡が残っています。これに使用されている耐火煉瓦は1,700度の高熱に耐えるもので、英竜が天城山麓梨木その他の土を取り、辛苦の後製造したものです。現在東京の靖国神社境内にある大村益二郎銅像の下にある砲身は、ここで鋳造されたものです。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
韮山反射炉

令和に見に行くなら

名称
韮山反射炉
かな
にらやまはんしゃろ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
静岡県伊豆の国市韮山町中字鳴滝入268-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同伊豆長岡驛の東一粁二、韮山村中鳴瀧にあり、反射爐は江川太郞左衞門英龍が幕府に建議して安政二年に造營、爾後明治維新までに大小砲數百門を鑄造したものである。爾後荒廢して居たが、その遺址は陸軍省の所轄に移り、高さ一六米の煙突及長さ五米六、幅五米の爐址が存して居る。これに使用されて居る耐火煉瓦は一、七〇〇度の高熱に堪へるもので、英龍が天城山麓梨木その他の土を取り、辛苦の後製造したるものである。今東京靖國神社境內大村益二郞銅像の下にある砲身は、こゝで鑄造されたものである。

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