箱根神社

箱根神社[國幣小社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

元箱根村大芝、芦ノ湖畔に面した山腹の景勝地にあり、箱根神を祀ります。奈良朝時代に万巻上人が創建したと伝わり、平安朝頃からはこの地方の名神と仰がれ、源頼朝が勃興の当時、本社に祈願を籠めその志を遂げてからは社参、奉幣など篤く信仰し、以来鎌倉時代を通じて三島神社や伊豆山神社と同様に幕府から特別の待遇を受けてきました。江戸時代に入ってからは徳川家康以来社領を寄進し、永く武家崇敬の社と仰がれていました。社殿は丹塗りの権現造で江戸時代前期の寛文7年(1667年)徳川家綱の再建です。社殿のそばには宝物館があって古刀、什器、木像、古文書など40点あまりを陳列しています。そのなかの主なものは次のとおりです。

  • 万巻上人木像[国宝] 高さ90cm 一木造の坐像で、全体に丸味を帯びた堂々とした形像、衣の皺は鋭くしかも巧みに肉体の丸味を表現し、肩から腋にかけての刀法は特に素晴らしく背面の施工も怠りません。その鼻はすっきり高く、眉秀で表情からも才気あふれるいかにも高僧の面影を現しています。万巻上人は平安朝の初期、箱根権現の中興とされ、像は正しくこの時代の作であり関東に残る最古の肖像彫刻となります。
  • 赤木柄短刀[国宝] 長さ24cm 一口 柄の金具には波に花菱の精巧な彫刻が施されています。
  • 和鏡 青銅製 一面 蓬萊山の模様があります。鎌倉時代
  • 神像 木製立像 三躯 彩色残存 不安時代
  • 湯釜 鉄製 口径約90cm、高さ約1.2m 二個 湖畔参道入口にあります。弘安および文永年間の鋳出し銘があり、箱根山東福寺の湯釜として寄進されたものです。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
万巻上人像(箱根神社)

令和に見に行くなら

名称
箱根神社
かな
はこねじんじゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

元箱根村大芝、蘆湖畔に面せる山腹景勝の地にあり、箱根神を祀る。奈良朝時代萬卷上人の創建にかゝると傳へ、平安朝頃からはこの地方の名神と仰がれ、源賴朝が勃興の當時、本社に祈願を籠めその志を遂げてからは社參、奉幣など啻ならぬ尊信を示し、爾後鐮倉時代を通じて三島神社伊豆山神社と同樣幕府から特別の待遇を受けた。江戶時代に入つては德川家康以來社領を寄進し、永く武家崇敬の社と仰がれて居た。社殿は丹塗の權現造で寬文七年德川家綱の再建である。社殿の傍には寶物館があつて古刀、什器、木像、古文書など四十餘點を陳列して居る。その中主なるものは次の通りである。

  • 萬卷上人木像[國寶] 高九〇糎(二尺九寸七分) 一木造の坐像であつて、全體丸味を帶びた堂々たる形像で、衣の皺文は銳くしてしかも巧に肉體の圓味を表現し、肩から腋にかけての刀法は殊に精妙で背面の施工も等閑ででない。その鼻隆く、眉秀で面貌俊邁如何にも高僧の面影を現はして居る。萬卷上人は平安朝の初期箱根權現の中興と稱せられ、像は正しくこの時代の作であつて關東に遺存する最古の肖像彫刻である。
  • 赤木柄短刀[國寶] 長二四糎(八寸)一口 柄の金具には波に花菱の頗る精巧なる彫刻が施されて居る。
  • 和鏡 靑銅製 一面 蓬萊山の模樣がある。鐮倉時代
  • 神像 木製立像 三躯 彩色殘存 不安時代
  • 湯釜 鐵製 口徑約九〇糎(三尺)高約一米二(四尺)二個 湖畔參道入口にある。弘安及文永年閒の鑄出し銘があり、箱根山東福寺の湯釜として寄進されたものである。

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