小田原城

小田原城址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

小田原駅の南1km、東南は相模灘に臨み、西に箱根や足柄の山並みを背負い、南に早川が流れる要害の地にあり、平山城に属します。本丸、天守台、二の丸と内堀・外堀の跡が残存していますが、内城の一部は宮内省の用地となり、外郭の東南部は女学校、小学校の敷地となっています。大正12年(1923年)の大震災の際に城壁や石垣など大部分崩壊しました。城は室町時代の明応4年(1495年)北条早雲がここを拠点とし「天下の険」箱根も押さえていることから関東に覇を唱えたところで、以後代々北条氏の居城でしたが、安土桃山時代の天正18年(1590年)豊臣秀吉に攻められて落城しました。江戸時代には大久保氏の居城となり明治維新に至りました。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
小田原城
かな
おだわらじょう
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
明治の廃城以後、当時は天守がありませんでしたが、戦後に再建されています。
住所
神奈川県小田原市城内
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の南一粁、東南は相模灘に臨み、西に箱根、足柄の諸山を負ひ、南に早川の流れを帶び要害の地を占め、半ば山城に屬する。本丸、天守臺、二の丸及內外濠の址が殘存して居るが、內城の一部は宮內省の用地となり、外郭の東南部は女學校、小學校の敷地となつて居る。大正十二年の大震災の折に壁壘は大部分崩壞した。城は明應四年北條早雲がこゝに據つて箱根の嶮を扼し以て關東に霸を唱へた處で爾後代々北條氏の居城であつたが、天正十八年豐臣秀吉に攻められて落城した。江戶時代には大久保氏の居城となり明治維新に及んだ。

小田原・箱根のみどころ