底倉温泉

底倉溫泉
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

宮ノ下の接続地で、電車の宮ノ下駅からは北に約0.5km、蛇骨川の河畔にあります。温泉の由来は古く、吉野朝時代には新田義則がここで刀傷を癒やしていたが、鎌倉からの追手に襲われて戦死し、豊臣秀吉の小田原征伐の際には石風呂を築いて武将の刀傷を治療させました。蔦屋の高山園内に義則の記念碑や石風呂の跡が残っています。

温泉は河中の集塊岩の割れ目から湧出し、弱塩類泉で温度66度、胃病、神経諸病、リウマチ、婦人病などに効くといいます。旅館は蔦屋、梅屋、仙石屋。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
底倉温泉
かな
そこくらおんせん
種別
温泉
状態
現存し見学できる
備考
「蔦屋」はつたや旅館として現在も残っています。新田義則の記念碑は、現在彫刻の森の敷地内で新田義則墓所と呼ばれる場所にあるものかと思われます。
住所
神奈川県足柄下郡箱根町底倉
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

宮ノ下の接續地、電車宮ノ下驛からは北約半粁、蛇骨川の涯畔にあり、溫泉の由來古く、吉野朝時代には新田義則此處に金創を養つたが、鐮倉よりの追手に襲はれて戰死し、豐臣秀吉の小田原征伐の際は石風呂を築いて將卒の創傷を治せしめた。今蔦屋の高山園內に義則の記念碑や石風呂の址が殘つて居る。

溫泉は河中の集塊岩の岩罅より湧出し、弱鹽類泉で溫度百五十度、胃病、神經諸病、リウマチス、婦人病などに效くと言ふ。旅館 蔦屋、梅屋、仙石屋。

小田原・箱根のみどころ