宮ノ下温泉

宮ノ下溫泉
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

塔之沢から西北6km、自動車の通路で、電車の宮ノ下駅から約300m下ったところです。旧火口の辺縁に位置し、箱根の温泉の中央にあるので、交通の中枢にあたり、御用邸も設けられ、箱根第一の繁華地となりました。海抜417m、早川の水面からの高さ110m、川を隔てて明神、明星の山並みが東北に長く連なり、鷹巣山の連峰が西南から東に走って湯坂山に続くところ、その裾合いの間に相模湾の海が見渡せます。宮ノ下背後の山は浅間山で登路約1km、相模湾の青い波、房総の緑 大島も視界に入ります。

温泉はその浅間山麓で熔岩の下となる集塊岩から湧出し、弱塩類泉で温度54度、脳神経系統の諸病、婦人病、胃病、リウマチなどに効くといいます。旅館は富士屋ホテル、奈良屋。

宮ノ下と底倉とは八千代橋を隔てて相対しています。その八千代橋の下100mの深谷を作っているのは蛇骨川で、芦之湯に近い阿字池に源を発し、蓬萊、鷹巣両山の間を流れて底倉に至り、谷となって早川に落ちたものでした。しかしその川底が軟らかい早川層灰岩だったため、たちまち削られてしまい、谷は瀧のように後退して蛇骨滝の岩角に至って止まったものといいます。底倉、宮ノ下が古来温泉に恵まれたのもまたこの水蝕のためです。その泉脈は当初はかなり上層にあったらしく、その沈澱物である珪華は国道付近に堆積して厚層となって、木の葉や巻き貝を含んでいます。その葉脈を残しているものはあたかも蛇の骨格に似ていることから俗にこれを蛇骨と呼んだもので、蛇骨川、蛇骨野の名もこれに基因します。小学校裏の崖下に白色の帯状となったその珪華の層が見られます。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
宮ノ下温泉
かな
みやのしたおんせん
種別
温泉
状態
現存し見学できる
住所
神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

塔ノ澤より西北六粁、自動車の通路、電車宮ノ下驛より約三〇〇米を下る。地は舊火口の邊緣に位し、箱根諸溫泉の中央にあるので、交通の中樞に當り、御用邸も設けられ、箱根第一の繁華地となつた。海拔四一七米、早川の水面より高きこと一一〇米、川を隔てゝ明神、明星の山巒東北方に長く連り、鷹ノ巢山の連峯西南より東に走つて湯坂山に續くところ、その裾合の閒に相模灣の寸碧が見渡される。宮ノ下背後の山は淺閒山で登路約一粁、相模灣の蒼波、房總の翠黛 大島の靑螺も視界に入る。

溫泉はその淺閒山麓熔岩の下なる集塊岩より湧出し、弱鹽類泉で溫度百三十度、腦神經系統諸病、婦人病、胃病、リウマチスなどに效くと云ふ。旅館 富士屋ホテル、奈良屋。

宮ノ下と底倉とは八千代橋を隔てゝ相對して居る。その八千代橋の下一〇〇米の深谷を穿つて居るのは蛇骨川で、蘆湯に近き阿字池に源を發し、蓬萊、鷹ノ巢兩山の閒を流れて底倉に至り、懸谷をなして早川に落ちたものであつたが、その基底は柔軟な早川層灰岩であつた爲め、忽ち削蝕せられ、懸谷は瀑布の狀をなして後退して蛇骨瀧の岩角に至つて止まつたものだと云ふ。底倉、宮ノ下が古來溫泉に惠まれたのもまたこの水蝕の餘慶である。その泉脈は初め頗る上層にあつたらしくその沈澱物たる珪華は國道附近に堆積して厚層をなし或は木の葉を印し、或は蜷の類を含有して居る。その葉脈を殘して居るものは恰の蛇の骨格に似て居るから俗にこれを蛇骨と稱する、蛇骨川、蛇骨野の名もそれに基因するので、小學校裏の崖下に白色帶狀をなしたその珪華の層が見られる。

小田原・箱根のみどころ