早雲寺

早雲寺[臨濟宗大德寺派]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

箱根登山電車湯本駅の西南約0.5km、湯本町にあります。北条早雲の遺命により室町時代の大永元年(1521年)その子氏綱が創建しました。境内に早雲以下五代の墓がありますがいずれも江戸時代前期の寛文12年(1672年)に北条氏治が建てたものです。なお連歌で名高い宗祇法師の墓もあります。

  • 宝物
  • 北条早雲画像[国宝]一幅 絹本淡彩、左手を膝に置き、右手に金色の中啓を持ち、身には墨染めの衣を着け、絡子をかけた僧形姿の坐像です。目尻を少しつり上げ、鼻高く口を堅く閉じ、早雲その人の個性をよく表現したものとして、室町時代における優秀なる肖像画です。
  • 早雲、氏綱、氏康、氏直および氏政画像 五幅 紙本著色 土佐光起筆
  • 文台及硯箱[国宝]一組 この文台は装飾のため髹漆蒔絵ではなく織物類を張ってありますが、これは実に前例のない創意です。特に内部の構造に桐柾小板片の核接法を用いていて細工が緻密であることと、黒柿外縁、鍍金端金物などの使用に至るまで、細心の技巧が最も卓越していることがあり、なかなかない優れた作品と称すべきものです。その織物は普通「モール織」と呼ばれるものを少しアレンジしたものです。北条氏政所用との伝説は本寺の由緒やその時代様式からしても正しいものでしょう。
  • 鐘 一口 鐘楼にかかっています。鎌倉時代の元徳2年(1330年)の銘があり、安土桃山時代の天正12年(1584年)に豊臣秀吉が石垣山の陣営に持ち出し、陣鐘として使用したと伝わります。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
北条早雲像(早雲寺)

令和に見に行くなら

名称
早雲寺
かな
そううんじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
神奈川県足柄下郡箱根町湯本405
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

箱根登山電車湯本驛の西南約半粁、湯本町にある。北條早雲の遺命により大永元年その子氏綱の創建にかゝる。境內に早雲以下五代の墓があるが何れも寬文十二年に北條氏治の建てたものである。尙連歌で名高い宗祇法師の墓もある。

  • 寶物
  • 北條早雲畫像[國寶]一幅 絹本淡彩、左手を膝に置き、右手に金色の中啓を持ち、身には墨染めの衣を着け、絡子をかけた僧形姿の坐像である。目尻少しくつり上り、鼻高く口を堅く閉じ、早雲その人の個性をよく發揮せるものゝ如く、室町時代に於ける優秀なる肖像畫である。
  • 早雲、氏綱、氏康、氏直及氏政畫像 五幅 紙本著色 土佐光起筆
  • 文臺及硯箱[國寶]一組 この文臺はこれを裝飾するに髹漆蒔繪を以てせず織物類を張つてあるが、これは實に前例のない創意である。殊に內部の構造に桐柾小板片の核接法を用ひ細工の周密であるのと、黑柿外緣、鍍金端金物などの使用に至るまで、細心の技巧最も卓越せるものがあり、實に稀觀の作品と稱すべきものである。その織物は普通「モール織」と稱するものゝ多少轉化せるものである。北條氏政所用との傳說は本寺の由緖及その時代樣式からしてさもあるべきである。
  • 鐘 一口 鐘樓にかゝつて居る元德二年の銘あり、天正十八年に豐臣秀吉が石垣山の陣營に持ち出し、陣鐘として使用したと傳ふ。

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