吉利支丹墓碑

須川名切支丹墓碑
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

口之津鉄道西有家駅の東南0.5km、西有家町須川須川名の向浜の墓地にあり、砂岩質の石材を用いた蒲鉾形の墓碑で、長さ1.24mcm、幅64cmの大形のものに属し、厚さ(高さ)33cmあります。この他にある1基の粗製な同形墓碑とともに地中に埋没していたのが発掘されたもので、蒲鉾形の上面と後端に花十字架を刻しまた前端に耶蘇紀元一千六百十年慶長十五年七月十六日の日付があり、次のラテン語の銘文が陰刻されています。

FIPISACXE MODIOG XN GOXIRAI 1610 IVG 16 QEICHO 15

この種の蒲鉾形のキリシタン墓碑は南北高来郡、西彼杵郡等にわたり各所にありますが、多くは花十字架のみで、このように銘文があるものは稀です。通常の蒲鉾形墓碑は有家町においては字切支丹の畑中および尾上名、上桜馬場、中須川名字前田、小川名字榎田等に残り、口之津町白浜と呼ぶ海岸、北串山村飛子名等にもあります。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
有家のキリシタン墓碑

令和に見に行くなら

名称
吉利支丹墓碑
かな
きりしたんぼひ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
長崎県南島原市西有家町須川252-2
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

口之津鐵道西有家驛の東南半粁、西有家町須川須川名の向濱の墓地にあり、砂岩質の石材を用ゐた蒲鉾形の墓碑で、長さ一米二四糎、幅六四糎の大形のものに屬し、厚(高)三三糎ある。この他にある一基の粗製な同形墓碑と共に地中に埋沒して居たのが發掘されたもので、蒲鉾形の上面と後端に花十字架を刻しまた前端に耶蘇紀元一千六百十年慶長十五年七月十六日の日附ある左の羅典文の銘文が陰刻されて居る。

FIPISACXE MODIOG XN GOXIRAI 1610 IVG 16 QEICHO 15

この種の蒲鉾形の切支丹墓碑は南北高來郡、西彼杵郡等に亙り各所に存するが、多くは花十字架のみで、これの如く銘文のあるのは稀である。通常の蒲鉾形墓碑は有家町に於ては字切支丹の畑中及尾上名、上櫻馬場、中須川名字前田、小川名字榎田等に存し、口之津町白濱と呼ぶ海岸、北串山村飛子名等にもある。

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