雲仙温泉

雲仙溫泉
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

雲仙岳の西面中腹、矢岳と絹笠山の間にある爆裂火口の跡で、海抜727mの高地にあり、小浜からも島原からも自動車の便があり、その途上車中からの眺観美が旅行者を喜ばせています。

温泉地帯は雲仙国立公園の中心地で、そこに国立公園事務所があり、観光客の利便を図っています。温泉場は新湯、古湯、小地獄に分かれ、新湯は明治11年(1878年)の開拓で近代的設備を整え、主に夏期に外国人の避暑客を迎えるため、その環境はすべてが外国人向けで、ホテルも洋式のみでしたが、近年は和室を設けるものが多く、また日本式旅館を見るようになりました。古湯は新湯と地を接して最も古い歴史を有し、行基開基と伝わる大乗院満明寺の盛時より利用されたものらしく、寺は島原の乱のため灰燼に帰し、現在釈迦堂にその名残を留めるばかりです。新湯の外国人向けに対してはここは日本人向けの旅館のみです。小地獄は新湯の南1kmあまり、江戸時代中期の享保年間(1716~1736年)の開湯と伝え、木賃式の宿が多いところです。温泉はいずれも硫化水素臭のする硫黄泉で温度高く61~83度、皮膚病、リウマチ、脳病、脚気、花柳病などに効くといいます。

新湯付近には30以上の噴気孔が点在し、清七地獄、八万地獄、お糸地獄、大叫喚地獄、邪見地獄などの名あり、盛んに水蒸気や硫化水素ガスを噴出し、もうもうとした白煙は四周の緑樹と相まって温泉気分を濃厚にします。この一帯の緑樹塊岩の奇景は自然の庭園となっていますが、遊歩道を設けて浴客が散策できるようになっています。

付近にはゴルフ場、テニスコート、娯楽場、プール、大弓場等があり、登山には乗馬、駕籠の便もあります。旅館は新湯に九州ホテル、有明ホテル、雲仙ホテル、新湯ホテル、緑屋ホテル、高来ホテル、日の出ホテル等あり、九州ホテルのほかはいずれも和室の設えもあります。日本式旅館は新湯に宮崎旅館、古湯に富貴屋、東洋館、芳仙館、湯元旅館、万屋、絹笠旅館ほか十数軒あり、東洋館、芳仙館には洋室の設えもあります。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
雲仙温泉

令和に見に行くなら

名称
雲仙温泉
かな
うんぜんおんせん
種別
温泉
状態
現存し見学できる
住所
長崎県雲仙市小浜町雲仙
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

雲仙嶽の西面中腹、矢嶽と絹笠山の閒にある爆裂火口の跡で、海拔七二七米の高地にあり、小濱からも島原からも自動車の便があり、その途上車中からの眺觀美が旅行者を喜ばせる。

溫泉地帶は雲仙國立公園の中心地で、そこに國立公園事務所があり、觀光客の利便を圖つて居る。溫泉場は新湯、古湯、小地獄に分れ、新湯は明治十一年の開拓で近代的設備を整へ、主に夏期外人の避暑客を迎ふる爲、その環境は凡てが外人向で、ホテルも洋式のみであつたが、近年日本室を設くるもの多く、また日本式旅館を見る樣になつた。古湯は新湯と地を接して最も古き歷史を有し、行基開基と傳ふる大乘院滿明寺の盛時より利用せられたものらしく、寺は島原の亂の爲灰燼に歸し、今釋迦堂にその名殘を止むるばかりである。新湯の外人向に對してはこゝは邦人向の旅館のみである。小地獄は新湯の南一粁あまり、享保年閒の開湯と傳へ、木賃式の宿が多い。溫泉はいづれも硫化水素臭を有する硫黃泉で溫度高く六一度乃至八三度、皮膚病、リウマチス、腦病、脚氣、花柳病などに效くと云ふ。

新湯附近には三十有餘の噴氣孔點在し、淸七地獄、八萬地獄、お絲地獄、大叫喚地獄、邪見地獄などの名あり、盛に水蒸氣や硫化水素瓦斯を噴出し、濛々たる白烟は四周の綠樹と相映じて溫泉氣分を濃厚にする。この一帶の綠樹塊岩の奇景は自然の庭園をなして居るが、逍遙道路を設けて浴客の散策に便して居る。

附近にはゴルフ場、テニスコート、娛樂場、プール、大弓場等あり、登山には乘馬、駕籠の便もある。旅館は新湯に九州ホテル、有明ホテル、雲仙ホテル、新湯ホテル、綠屋ホテル、高來ホテル、日の出ホテル等あり、九州ホテルの外は何れも日本室の設もある。日本式旅館は新湯に宮崎旅館、古湯に富貴屋、東洋館、芳仙館、湯元旅館、萬屋、絹笠旅館外十數軒あり、東洋館、芳仙館には洋室の設もある。

島原・雲仙のみどころ