旧島原藩薬園跡

舊島原藩藥園址[指定史蹟]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

島原鉄道島原駅の西約2km、島原町焼野にあります。眉山東麓、西南に松林のある高所で、ほぼ正方形の区域が、南は土塁、他は石塁で囲まれています。江戸時代後期の弘化2年(1845年)島原藩で、シーボルトの門弟である賀来佐一郎を招聘し、藩臣飯島義角とともに土地を選んで園を開拓させ、薬用植物を栽培させました。園内に伊藤圭介の梅花賦によって著名な梅の老樹があり、西南隅の高所に楽園方詰所跡の礎石があり、左側に薬師仏の石龕、右側に金庫跡の石垣等が残っています。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
旧島原藩薬園跡
かな
きゅうしまばらはんやくえんあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
長崎県島原市小山町4703
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同島原驛の西約二粁、島原町燒野にある。眉山東麓、西南に松林を負うた高燥な場所で、略々方形の區域に、南は土壘、他は石壘に圍まれて居る。弘化二年島原藩に於て、シーボルトの門弟なる賀來佐一郞を招聘し、藩臣飯島義角と共に地を相して園を拓かしめ、藥用植物を栽培せしめた。園內に伊藤圭介の梅花賦によりて著名な梅の老樹あり、西南隅の高所に樂園方詰所址の礎石あり、左側に藥師佛の石龕、右側に金庫址の石垣等が殘つて居る。

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