島原城

島原城址(森嶽城址)
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

島原鉄道島原駅の西0.5km、島原町にあります。本丸跡の石塁を遺存し、内濠が四周をめぐり、東西165m、南北300m、郭内に天守閣跡があり、本丸跡の北、女学校のあたりが二の丸跡で、さらにその北の第一小学校、県立島原中学校のあたりは三の丸跡です。城は松倉重政が築いたところで、江戸時代前期の元和2年(1616年)重政が大和五条から有馬氏の旧領である有馬日野江城に入り、やがてこの城を築き5年を費やして完成しました。内外2重の濠、33か所の櫓、7か所の城門をもつ大城であったといいます。寛永14年(1637年)島原の乱で叛徒がまずここに押寄せたところで、翌年子重次の時に転封されれて高力忠房がこれに代わり、松平、戸田両氏を経て再び松平氏が入城し、子孫世襲して維新に至りました。付近に天正12年(1584年)有馬、島津の軍が竜造寺氏の軍を破り、竜造寺隆信が戦死した沖田畷の古戦場があります。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
島原城
かな
しまばらじょう
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
当時破却されていた天守などが後に復元されています。
住所
長崎県島原市城内1-1183-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

島原鐵道島原驛の西半粁、島原町にある。本丸址の石壘を遺存し、內濠が四周を繞り、東西一六五米、南北三〇〇米、郭內に天守閣址あり、本丸址の北、女學校の邊が二の丸址で、更にその北の第一小學校、縣立島原中學校の邊は三の丸址である。城は松倉重政の築く所で、元和二年重政大和五條から有馬氏の舊領なる有馬日野江城に入り、やがてこの城を築き五箇年を費して成つた。內外二重の濠、三十三箇の櫓、七箇の城門を有した大城であつたと云ふ。寬永十四年島原亂に叛徒先づこゝに押寄せた所で、翌年子重次の時封除かれて高力忠房これに代り、松平、戶田兩氏を經て再び松平氏入城し、子孫世襲して維新に至つた。附近に天正十二年有馬、島津の軍が龍造寺氏の軍を破り、龍造寺隆信が戰死した沖田畷の古戰場がある。

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