日露樺太国境画定会議室
日露樺太國境劃定會議室
※現代の景観です。
昭和初期のガイド文
手宮駅の北200m、市内手宮町三丁目、近海郵船会社小樽支店の楼上大広間で、中央大テーブル、椅子などすべて当時のままで、壁間に関係写真測定図表などを掲げています。明治38年(1905年)9月ポーツマス条約によって北緯50度と定めた日露国境を、さらに翌39年(1906年)夏に両国委員が現地に出張して天測によって緯度を測定し、同年11月小樽港に帰還し、当時日本郵船会社といったこの広間で3日かけて会議を開催し、同月13日調印が行われた場所です。日本側委員は陸軍大佐大島健一ほか12名、ロシア側委員は陸軍中佐ウォスクレセンスキーほか3名でした。この室に隣接する休憩室も当時のまま残っています。
※底本:『日本案内記 北海道篇(五版)』昭和11年(1936年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 日露樺太国境画定会議室
- かな
- にちろからふとこっきょうかくていかいぎしつ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 備考
- 重要文化財「旧日本郵船小樽支店」として残っています。令和5年(2023年)6月まで改修を行っています。
- 住所
- 北海道小樽市色内3-7-8
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
手宮驛の北二〇〇米、市內手宮町三丁目近海郵船會社小樽支店樓上大廣閒で、中央大卓子、椅子等凡て當時の儘で、壁閒に關係寫眞測定圖表等を揭げて居る。明治三十八年九月ポーツマス條約によりて北緯五十度を以て定めた日露國境を、更に翌三十九年夏期兩國委員現地に出張して天測によりて緯度を測定し、同年十一月小樽港に歸還し、こゝで(當時日本郵船會社)會議を開催する事三日、同月十三日調印を見たる場所である。日本側委員は陸軍大佐大島健一他十二名、露國側委員陸軍中佐ウォスクレッセンスキー他三名であつた。この室に鄰る休憩室も當時の儘遺存して居る。