小樽港

小樽港
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

北の茅柴岬から南の平磯岬に至る直線をもって港界とし、港内は水深が深く、海底は泥土で天然の良港です。明治30年(1897年)から大正10年(1921年)に至る25年にわたり、国費740万円を投じ、南北両防波堤の延長約3,594mの築設竣工を告げ、被覆水面積約4.3km²をもつ大商港の輪郭が完成しました。これにしたがって海陸連絡改善が行われ、鉄道省においては約100万円をもって若竹町地先の大埋立埠頭工事、さらには手宮に高架桟橋を築設し、市は約400万円をもって船入澗、物揚場、貯木場、繋船岸壁、上屋、臨港鉄道の施設をなすほか、市の中央部に北海道第二期拓殖計書により、工費700万円以上を投じて櫛形式埠頭3基を昭和10年度から7年間で築設することを決定、工事に着手するなど海陸設備が相次いで完成に向かい、商業・交通等の要衝となっています。

昭和8年(1933年)小樽の入港船舶は599万トンあまりで北海道の諸港でトップですが、輸出入貨物の価額は函館に次ぐ約2億3,000万円でその9割弱は国内貿易に属し、国内の主要輸出品は紙、石炭、木材、澱粉、米などです。

※底本:『日本案内記 北海道篇(五版)』昭和11年(1936年)発行

令和に見に行くなら

名称
小樽港
かな
おたるこう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
北海道小樽市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

北方茅柴岬から南方平磯岬に至る直線を以て港界とし、港內水深く、海底泥土にして天然の良港である。明治三十年以降大正十年に至る二十五ケ年に亙り、國費七百四十萬圓を投じ、南北兩防波堤延長約三、五九四米の築設竣功を吿げ、被覆水面積約四三〇ヘクタ一ルを有する大商港の輪廓が完成した。これに隨ひ海陸連絡改善施設が行はれ、鐵道省に於ては約百萬圓を以て若竹町地先の大埋立埠頭工事竝に手宮に高架棧橋を築設し、市は約四百萬圓を以て船入澗、物揚場、貯木場、繋船岸壁、上屋、臨港鐵道の施設をなす外、市の中央部に北海道第二期拓殖計書に依り、工費七百餘萬圓を投じて櫛形式埠頭三基を昭和十年度から七箇年閒に於て築設することに決定、工事に着手する等海陸設備相次いで完成に向ひ商業、交通等の要衝である。

昭和八年小樽の入港船舶は五百九十九萬噸餘で北海道諸港第一であるが、輸出入貨物價額は函館の下に位し、約二億三千萬圓でその九割弱は內國貿易に屬し、內國主要輸出品は紙、石炭、木材、澱粉、米等である。

小樽のみどころ