小樽市

小樽市
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

小樽、手宮、南小樽、小樽築港、浜小樽の駅所在地です。

日本海方面の重要港市で、北、西、南の三方に丘陵を背負い、東は小樽湾すなわち石狩湾に面し、東西約9.6km、南北おおよそ11.7km、面積約56.8方km²です。市街は坂路が多くあります。

小樽とはオタナイに由来し、石狩境の川の名で、砂の川の意であるといいます。後にこの場所の総称となりました。松前藩オタモイ川の支流マサラカオマプのアイヌを今の勝納川付近に移して漁場を開き小樽場所と呼びましたが町の発展は安政以後です。明治2年(1869年)7月政府が北海道開拓使を置き、4年その庁を札幌に開くにあたり、海陸運輸の接続を小樽港に求め、同年から11年に至る間に札幌と小樽間の道路を開鑿し、13年市内手宮と札幌との間に鉄道を敷設しました。鉄道が開通すると、すぐに手宮に石炭積出しの専用桟橋を架設するなど次第に運輸の便が開け、また道内の開発に伴い、多くの貨物がここに集まり、通商貿易が年をおって発達し、生産工業も勃興しました。大正11年(1922年)7月区制を廃し、翌月1日から市制を施行され、昭和10年(1935年)の人口15万3,000人を超え、北海道第3の都会となっています。

生産年額は近年減少しましたが昭和7年(1932年)にはなお1,300万円以上で、その9割は工産に属し、工産の主なものは機械器具、食料品です。

※底本:『日本案内記 北海道篇(五版)』昭和11年(1936年)発行
小樽市

令和に見に行くなら

名称
小樽市
かな
おたるし
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
北海道小樽市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

小樽、手宮、南小樽、小樽築港、濱小樽諸驛所在地。

日本海方面の重要港市で、北、西、南の三方に丘陵を負ひ、東は小樽灣卽ち石狩灣に面し、東西約九粁六、南北凡そ一一粁七、面積約五六方粁八である。市街は坂路が多い。

小樽とはオタナイから出で、石狩境の川の名で、砂の川の意であると云ふ。後この場所の總名となつた、松前藩オタモイ川の支流マサラカオマプのアイヌを今の勝納川附近に移して漁場を開き小樽場所と呼んだが町邑の發展は安政以後である。明治二年七月政府が北海道開拓使を置き、四年その廳を札幌に開くに當り、海陸運輸の接續を本港に求め、同年より十一年に至る閒札幌、小樽閒の道路を開鑿し、十三年市內手宮と札幌との閒に鐵道を敷設しその開通を見るや、直に手宮に石炭積出しの專用棧橋を架設する等漸次運輸の便が開けると共に、道內の開發に伴ひ、萬般の貨物本港に蝟集し、通商貿易年を逐うて發達し、生產工業も勃興した。大正十一年七月區制を廢し、翌月一日から市制を施行され、昭和十年の人口十五萬三千を超え、北海道第三の都會である。

生產年額は近年減じたが昭和七年には尙一千三百萬圓以上で、その九割は工產に屬し、工產の主なものは機械器具、食料品である。

小樽のみどころ