伊能忠敬の墓

伊能忠敬墓
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市内電車清島町下車、北清島町源空寺墓地内にあります。忠敬は下総の人で測量術に長じ、幕命によって日本地図を作製しました。江戸時代後期の文政4年(1821年)77歳で没し、維新後正四位を贈られました。忠敬の墓の隣にはその一師高橋東岡の墓があります。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
伊能忠敬の墓
かな
いのうただたかのはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
東京都台東区東上野6-19-2 源空寺内
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市內電車淸島町下車、北淸島町源空寺墓地內にある。忠敬は下總の人で測量術に長じ、幕命によりわが國輿地圖を作製した。文政四年七十七歳で歿し、維新後正四位を贈らる。忠敬の墓に鄰りてその一師高橋東岡の墓がある。

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