安藤広重の墓
安藤廣重墓
※現代の景観です。
昭和初期のガイド文
市内電車清島町下車、北松山町東岳寺境内にあります。広重は有名な浮世絵師で最も風景画に長じ、江戸時代末期の安政5年(1859年)62歳で没しました。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 安藤広重の墓
- かな
- あんどうひろしげのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存しない
- 備考
- 当時浅草の松が谷1丁目付近にあった東岳寺は、太平洋戦争の戦災により、足立区伊興本町へ移転しました。墓石も被害を受けましたが、移転先にて戦後再建されています。当時の場所にないという意味で「現存しない」ステータスとしておきます。
日本案内記原文
市內電車淸島町下車、北松山町東嶽寺境內にある。廣重は有名なる浮世繪師で最も風景畫に長じ、安政五年六十二歲で歿した。