寛永寺

寬永寺[天臺宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

東京帝室博物館の西隣にあります。江戸時代前期の寛永年間(1624~1644年)江戸城鎮護のため天海僧正の願により創建したものです。今東京帝室博物館のあるところは、もと寛永寺本坊すなわち法親王常住坊舎のあった位置で、昔の正門がそのまま博物館の正門となっています。正門前の竹の台にはもと中堂があり、中堂の前には大塔と円堂が相対し、さらに法華常行の2堂があって渡殿で連結していて、大伽藍の美を備えていました。これらの諸堂の多くは、明治元年(1868年)の兵火によって失われ、現存するのは清水堂、五重塔および両大師のみとなっています。今の寛永寺中堂は明治8年(1875年)に上州世良田の長楽寺本堂を移して旧大慈院跡に再建したもので、本尊は薬師如来です。旧時の寺門は黒門すなわち表門の外、その東に新黒門あり、山の東側に車坂門、その北に屏風坂門、その少し西に坂下門、山の西側池ノ端通に女坂門、切通上に清水門、天王寺前通に谷中門がありましたが、今はひとつも残っていません。寛永寺にも増上寺と相対して徳川氏の霊廟が設けられ、今東京市の重要な歴史的建築物となっています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
寛永寺
かな
かんえいじ
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
徳川氏の霊廟は大部分が昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失しました。
住所
東京都台東区上野桜木1-14-11
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

東京帝室博物館の西鄰にあり。寬永年閒江戶城鎭護のため天海僧正の願により創建したものである。今東京帝室博物館のあるところは、もと寬永寺本坊卽ち法親王常住坊舍のあつた位置で、昔の正門がそのまゝ博物館の正門である。正門前の竹の臺にはもと中堂があり、中堂の前には大塔と圓堂が相對し、更に法華常行の二堂があつて渡殿によつて連結せられ、輪奐の美を備へて居た。これらの諸堂の多くは、明治元年の兵火によつて失はれ、現存するは淸水堂、五重塔及兩大師あるのみである。今の寬永寺中堂は明治八年に上州世良田の長樂寺本堂を移して舊大慈院跡に再建したもので、本尊は藥師如來である。舊時の寺門は黑門則ち表門の外、その東に新黑門あり、山の東側に車坂門、その北に屏風坂門、その少しく西に坂下門、山の西側池ノ端通に女坂門、切通上に淸水門、天王寺前通に谷中門があつたが、今は一も存しない。寬永寺にも增上寺と相對して德川氏の靈廟が設けられ、今東京市に於ける重要な史的建築物となつて居る。

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