東京帝室博物館

東京帝室博物館
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

上野公園内にあり、その正門はもと輪王寺本坊の門でした。この門を入ると左手に表慶館があります。他の陳列館は大正12年(1923年)震災後に取り除かれました。本館は明治15年(1882年)に開設され、主として日本、中国、インドなど東洋のものを蒐集し、総数約46万に達しています。その陳列品は歴史部、美術部、美術工芸部の3部に分かれ、各部の陳列品はさらに種類によって次のように分類されています。

  • 歴史部は典籍、文書、書図、金石文、版、学術器械、上古遺物、奈良時代遺物、祭祀宗教に関する物品、武器、服飾、儀式、家什、楽器、遊戯具、文房具、貨幣、印紙、度量衡、与車、橋梁、船舶、蝦夷琉球台湾朝鮮風俗、外国風俗。
  • 美術部は絵画、彫刻、建築、写真、書跡。
  • 美術工芸部は金属品、焼製品、髹漆品、染織品、玉石品、甲角品、木竹品、紙革品、印鈕篆鐫、版書刻版。

これら各部の陳列品から重要なものを選択し、国宝や寄託品を加えて表慶館に陳列されています。収蔵されている列品は特別縦覧規定によって観覧の機会があります。

表慶館 東宮殿下の御慶事を記念するため、東京市民が帝室へ献上したもので、明治41年(1908年)に竣工しました。外形を鳳凰に模した洋風の石造建築で総面積2500m²(749坪)あり、陳列室は階上階下に分かれ階上は第一室から第四室、階下は第五室から第九室まであります。

第一室 歴史部の陳列室で、京都御所飛香舎代御調度および細長とその附属品が陳列されていますが、陳列品はときどき入れ替えられます。

第二室 美術部の陳列室で、主として室町時代以前の絵画を陳列しおおよそ毎月陳列替えをします。本室に陳列される博物館所蔵の仏画では藤原時代の普賢菩薩画像が最も名高く、そのほか当麻曼荼羅をはじめ、鎌倉以前の優秀なものが十数点あります。また国宝の仏画では神護寺蔵の釈迦如来画像、松尾寺の普賢延命画像など藤原時代の優秀な代表的絵画が陳列されます。さらに鎌倉時代の絵画では国宝北野天神縁起18巻、国宝鳥羽僧正戯画4巻、国宝松ヶ崎天神縁起5巻(応長の奥奢)、天狗草紙絵巻2巻(博物館蔵)など著名なものがときどき陳列されます。室町時代の絵画では雪舟筆破墨山水(博物館蔵)、元信筆祖師図4幅(博物館蔵)、国宝元信筆神馬図、土佐光信筆清水寺縁起3巻などいずれも有名なものです。

第三室 美術部の陳列室で、江戸時代および明治時代の絵画が陳列されます。江戸時代のものでは狩野常信の花鳥屏風一双、狩野探幽の三十六歌仙、酒井抱一の四季花島絵巻2巻、谷文晁の彦山真景などは博物館所蔵の主なもので、国宝では円山応挙の雲竜図の屏風が陳列されます。明治時代の主なものでは狩野芳崖、今尾景年、川端玉章などの作品が陳列されます。

第四室 美術工芸部の陳列で、日本の漆器を製作の年代により各時代に分類陳列して、その発達のあとを示しています。この室には奈良朝のものとして御物金銀泥絵漆の皮箱が陳列されています。平安時代器物の類では仁和寺所蔵国宝冊子筥、延暦寺所蔵国宝経筥、金剛峯寺所蔵国宝小唐櫃などいずれも有名な遺物で、博物館にその模造があり、また御物螺鈿鳳凰紋唐櫃、七寺所蔵の国宝般若経入唐櫃内小箱などが陳列されています。鎌倉時代の漆器は鶴岡八幡宮所蔵国宝菊蒔絵硯箱、土井家所蔵金溜地螺鈿模様の手筥などは、この時代の有名な遺品で、その模造品が陳列されています。また三島神社所蔵国宝梅の蒔絵手筥その他博物館蔵の香筥などがある。

なおこの時代には鎌倉彫が創製されたが、その遺品も多少博物館に集められています。室町時代は足利将軍義政が東山にあって華美を好み、調度の類に蒔絵を施した結果、梨地、高蒔絵の精巧なものを出し、五十嵐信斎、幸阿弥道長のような名工がいました。扇面散手箱、塩山扇面蒔絵手箱、猫蝶蒔絵料紙箱、菊水蒔絵手箱などいずれも博物館の所蔵で、この時代の代表的作品である。桃山時代の蒔絵は豊臣氏の豪奢なる風を受けて大きく変化したもので、京都東山高台寺の蒔絵はその代表的遺品で、高台寺蒔絵として知られています。博物館所蔵の秋草蒔絵経机はよくその特徴を表しています。江戸時代には漆器蒔絵の類が著しく発達し、特に元禄の頃には幸阿弥長救、尾形光琳、春正景正、山田常架斎、小川破笠、古満休伯、田利長兵衛などの名工を輩出し、極めて精巧な製作品を出し、後世これは常憲院時代蒔絵と呼ばれ名高いものです。陳列品中光悦作の舟橋蒔絵硯箱(博物館蔵)、光琳作八橋蒔絵硯箱(博物館蔵)、幸阿弥長重の初音蒔絵手箱(博物館蔵)など、いずれもこの時代の佳作です。このほか同時代の蒔絵書棚が陳列されています。この書棚は明治6年(1873年)オーストリアはウィーンの博覧会へ出陳され、送還の途中、積込船が伊豆沖で難破したので、海底に18ヶ月間沈んで居たのですが、少しも損じていなかったので、その堅牢さを証明した良い参考品です。印籠は江戸時代に流行したもので、在銘のもの50点あまりを陳列してその一部を示しています。

第五室 美術工芸部の陳列室で、右側には日本、中国、チベットにインドなどの金工品を類別して陳列し、左側には玉石、甲角、木竹との彫琢品を分類して陳列しています。

第六室 美術工芸部に属する日本および中国の陶磁器が陳列してあります。日本品は地理的に、中国品は時代的に分類して陳列されています。日本品で名高いものには赤楽茶碗、仁清作の茶壺、乾山の角皿などがあり、中国品は宋以前の優秀な製作品が集まっています。日本の陶磁器の歴史を象徴するものは古墳や経塚から発見されたものも多く、その貴重なものは歴史部に陳列されています。

中央広間 江戸時代末期の安政2年(1855年)新内裡落成の時、孝明天皇の御使用になった鳳輦が陳列されています。鳳輦は御即位、大嘗会、行幸などに天皇がお乗りになる輿の一種です。

第七室 美術部の陳列室で各時代の彫刻を陳列しています。飛鳥時代は朝鮮および中国から仏教芸術が伝えられた時代ですが、その時代の遺物として有名な法隆寺献納御物の金銅仏が陳列されています。奈良時代は唐式芸術の模倣が進み、唐式彫刻が隆盛を極めた時代で、多くの名作を残していますが、その模造品を陳列し、実物においては伎楽面があります。平安時代は唐式模倣を施した日本趣味を発揮した時代で、定朝のような名工が出ました。定朝式代表的作品ともされる大日如来の坐像が陳列されています。鎌倉時代は写実的にして雄勁な彫刻の発達した時代で、運慶、快慶などの名手が輩出しました。この時代の陳列品には国宝運慶作世親無著像の模造、博物館蔵の十二神将中の2体などがあります。室町時代には鎌倉時代の剛健な写実風は失われ、装飾に富んだ精緻な作品が作られましたが、その代表的作品として研出蒔絵をもって装飾された観音像が陳列されています。

第八室 歴史部の陳列室で日本石器時代の遺物、金石併用時代の遺物、上古から室町時代に至る古鏡、上古の服飾品、経塚発掘品、日本および中国の古銭を陳列しています。石器には武器、土偶、石棒、石皿などがあり、金石併用時代のものには銅鉾、銅剣、銅鏃、石剣および銅鐸が陳列されています。銅鐸はいまだにその用途が判明していない遺物ですが、その形は鐘に似て、表面には幾何学的模様のほか、原始的人物の像を露出したものなどもあって、当時の生活状態の一端を表すものがあります。陳列されている古鏡の多くは日本各地の古墳および継塚などから発掘されたもので、上古から室町時代に至る沿革が示されています。上古の鏡は中国伝来品と日本鋳造品とがありますが、日本鋳造品はおおむね中国鏡の模造です。奈良時代の鏡は唐鏡と区別ができない程同一形式のものですが、藤原時代以後の鏡は中国宋代以後の鏡とは交流がなく、まったく日本的模様が表現されています。身辺装飾具には古墳から発掘された耳飾、勾玉、玉類などが陳列されています。経塚発掘品には経筒、仏像、鏡、短刀、香合その他の器物があります。経塚は祈願のため法華経を書写し、容器に入れて地下に埋納した塚です。主として平安時代から室町時代に行われた仏教風俗で、経巻を納めた経筒には往々願文年号などが記載されています。経筒以外の器物はすべて附属品です。中国の古銭には蟻鼻銭、刀、銅刀、布などが陳列されています。これらは円形内に方孔を開けた銭形の成立する以前に流通したものです。また日本の古銭には皇朝十二文銭が展示されています。

第九室 歴史部の陳列室で、石器時代の土器、埴輪、日本古陶器、中国や朝鮮の古陶器、明器が陳列されています。

石器時代の土器は弥生式土器と縄文土器に分類して、陳列されています。弥生式土器は古史に土師器と記されているものと同一系統に属し、中部日本以西に多く発見され、縄文式土器は表面に細目文様があるもので、関東以北で多く発見されます。埴輪は日本の古墳の封土を囲むように埋め立てた素焼の土製品です。人物を現したものが最も多く、動物、家屋、器什の類を模したのも少なくありません。埴輪は日本上代の墳飾を象徴する遺品であると同時に、その土偶にあっては上古の服飾を表現していたり、土馬にあっては鞍具の装備方にも注目できるものがあります。ここに陳列されている日本古陶器は古墳副葬の遺物ばかりで古史にある「陶部」の製造により弥生式土器の一段進歩したものです。その装飾付古陶器は日本上代の生活様式を考察することができる好資料です。中国・朝鮮の古陶器は日本の古陶器の源泉が朝鮮にあり、さらにさかのぼって中国にあることを示すために陳列されています。明器は中国古墳の内部に遺骸に添えて置かれた仮器で人物を模したものが多く、家畜、建築、器什を現したものもあり、その時代は漢代のものもありますが、唐代のものが最も多く発見されています。この室に陳列されているものも人物を模したものが多い。その製作は精巧で三彩の釉薬を施したものもあり、その土偶が現している服装は、奈良時代および平安初期の服飾研究上に好資料となっているものです。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
埴輪土偶・斎瓮・銅鐸(東京帝室博物館) 東京帝室博物館表慶館平面図

令和に見に行くなら

名称
東京帝室博物館
かな
とうきょうていしつはくぶつかん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
備考
現在の「東京国立博物館」です。
住所
東京都台東区上野公園13-9
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

上野公園內にあり、その正門はもと輪王寺本坊の門であつた。この門を入ると左手に表慶館がある。他の陳列館は大正十二年震災後取除かれた。本館は明治十五年に開設され、主として本邦、支那、印度など東洋のものを蒐め、總數約四十六萬に達して居る。その陳列品は歷史部、美術部、美術工藝部の三部に分れ、各部の陳列品は更に種類によつて次の如く分類されて居る。

  • 歷史部、典籍、文書、書圖、金石文、版、學術器械、上古遺物、奈良時代遺物、祭祀宗敎に關する物品、武器、服飾、儀式、家什、樂器、遊戲具、文房具、貨幣、印紙、度量衡、與車、橋梁、船舶、蝦夷琉球臺灣朝鮮風俗、外國風俗。
  • 美術部、繪畫、彫刻、建築、寫眞、書跡。
  • 美術工藝部、金屬品、燒製品、髹漆品、染織品、玉石品、甲角品、木竹品、紙革品、印鈕篆鐫、版書刻版。

これら各部の陳列品中より重要なるものを選擇し、國寶及私人の寄託品を加へて表慶館に陳列されて居る。收藏されて居る列品は特別縱覽規定により觀覽の便がある。

表慶館 東宮殿下の御慶事を記念するため、東京市民が帝室へ獻上したもので、明治四十一年に竣工した。外形を鳳凰に模した洋風の石造建築で總面積二五アール(七四九坪)を有し、陳列室は階上階下に分れ階上は第一室より第四室に至り、階下は第五室より第九室に至る。

第一室 歷史部の陳列室で、京都御所飛香舍代御調度及細長とその附屬品が陳列されて居るが、この室は往往陳列替される。

第二室 美術部の陳列室で、主として室町時代以前の繪畫を陳列し凡そ每月陳列替をする。本室に陳列される博物館所藏の佛畫では藤原時代の普賢菩薩畫像最も名高く、その他當麻曼荼羅をはじめ、鐮倉以前の優秀なるものが十數點ある。また國寶の佛畫では神護寺藏の釋迦如來畫像及松尾寺の普賢延命畫像など藤原時代の優秀なる代表的繪畫が陳列される。その他鐮倉時代の繪畫では國寶北野天神緣起十八卷、國寶鳥羽僧正戲畫四卷、國寶松ケ崎天神緣起五卷(應長の奧奢)天狗草紙繪卷二卷(博物館藏)など著名なるものが時々陳列される。室町時代の繪畫では雪舟筆破墨山水(博物館藏)元信筆祖師圖四幅(博物館藏)國寶元信筆神馬圖、土佐光信筆淸水寺緣起三卷など何れも有名である。

第三室 美術部の陳列室で、江戶時代及明治時代の繪畫が陳列される。江戶時代のものでは狩野常信の花鳥屏風一雙、狩野探幽の三十六歌仙、酒井抱一の四季花島繪卷二卷、谷文晁の彥山眞景などは博物館所藏の主なるもので、國寶では圓山應擧の雲龍圖の屏風が陳列される。明治時代の主なるものでは狩野芳崖、今尾景年、川端玉章などの作品が陳列される。

第四室 美術工藝部の陳列で、わが國の漆器を製作の年代により各時代に分類陳列して、その發達のあとを示して居る。この室には奈良朝のものとして御物金銀泥繪漆の皮箱が陳列されて居る。平安時代器物の類では仁和寺所藏國寶册子筥、延曆寺所藏國寶經筥、金剛峯寺所藏國寶小唐櫃など何れも有名なる遺物で、博物館にその模造があり、また御物螺鈿鳳凰紋唐櫃、七寺所藏の國寶般若經入唐櫃內小箱などが陳列されて居る。鐮倉時代の漆器は鶴岡八幡宮所藏國寶菊蒔繪硯箱、土井家所藏金溜地螺鈿模樣の手筥などは、この時代の有名なる遺品で、その模造品が陳列されて居る。また三島神社所藏國寶梅の蒔繪手筥その他博物館藏の香筥などがある。

尙この時代には鐮倉彫が創製されたが、その遺品も多少博物館に集められて居る。室町時代は足利將軍義政が東山にありて華美を好み、調度の類に蒔繪を施した結果、梨地、高蒔繪の精巧なるものを出し、五十嵐信齋、幸阿彌道長の如き名工があつた。扇面散手箱、鹽山扇面蒔繪手箱、猫蝶蒔繪料紙箱、菊水蒔繪手箱など何れも博物館の所藏で、この時代の代表的作品である。桃山時代の蒔繪は豐臣氏の豪奢なる風を受けて頗る變化を來したもので、京都東山高臺寺の蒔繪はその代表的遺品で、高臺寺蒔繪として知られて居る。博物館所藏の秋草蒔繪經机はよくその特徵を表はしたものである。江戶時代には漆器蒔繪の類著しく發達し、殊に元祿の頃には幸阿彌長救、尾形光琳、春正景正、山田常架齋、小川破笠、古滿休伯、田利長兵衞などの名工輩出し、極めて精巧なる製作品を出し、後世これを常憲院時代蒔繪と稱して名高い。陳列品中光悅作の舟橋蒔繪硯箱(博物館藏)光琳作八橋蒔繪硯箱(博物館藏)幸阿彌長重の初音蒔繪手箱(博物館藏)など、何れもこの時代の佳作である。この外同時代の蒔繪書棚が陳列されて居る。この書棚は明治六年オーストリヤウイーンの博覽會へ出陳され、送還の途中、積込船が伊豆沖で難破したので、海底に十八ケ月閒沈んで居たが、少しも損じて居ないので、その堅牢を證すべき好參考品である。印籠は江戶時代に流行したもので、在銘のもの五十餘點を陳列してその一斑を示して居る。

第五室 美術工藝部の陳列室で、右半には日本、支那、西藏及印度などの金工品を類別して陳列し、左半には玉石、甲角、木竹との彫琢品を分類して陳列して居る。

第六室 美術工藝部に屬する日本及支那の陶磁器が陳列して居る。日本品は地理的に、支那品は時代的に分類して陳列されて居る。日本品で名高いものには赤樂茶碗、仁淸作の茶壺、乾山の角皿などがあり、支那品は宋以前の優秀なる製作品が蒐つて居る。わが陶磁器の歷史を徵すべきものは古墳及經塚から發見されたるものも多く、その貴重なるものが歷史部に陳列されて居る。

中央廣閒 安政二年新內裡落成の時、孝明天皇の御使用になつた鳳輦が陳列されて居る。鳳輦は御卽位、大嘗會、行幸などに天皇の乘らせ給ふ輿の一種である。

第七室 美術部の陳列室で各時代の彫刻を陳列して居る。飛鳥時代は朝鮮及支那から佛敎藝術の傳へられた時代であるが、その時代の遺物として有名なる法隆寺獻納御物の金銅佛が陳列されて居る。奈良時代は唐式藝術の模倣に力め、唐式彫刻の隆盛を極めた時代で、多くの名作を殘して居るが、その模造品を陳列し、實物に於ては伎樂面がある。平安時代は唐式模倣を施した日本趣味を發揮した時代で、定朝の如き名工が出た。定朝式代表的作品とも見るべき大日如來の坐像が陳列されて居る。鐮倉時代は寫實的にして雄勁なる彫刻の發達した時代で、運慶、快慶などの名手が輩出した。この時代の陳列品には國寶運慶作世親無著像の模造、博物館藏の十二神將中の二體などがある。室町時代には鐮倉時代の剛健なる寫實風は失はれ、裝飾に富んだ精緻なる作品が作られたが、その代表的作品として硏出蒔繪を以て裝飾された觀音像が陳列されて居る。

第八室 歷史部の陳列室で日本石器時代の遺物、金石倂用時代の遺物、上古より室町時代に至る古鏡、上古の服飾品、經塚發掘品、日本及支那の古錢を陳列して居る。石器には武器、土偶、石棒、石皿などがあり、金石倂用時代のものには銅鉾、銅劍、銅鏃、石劍及銅鐸が陳列してある。銅鐸は未だその用途の知られない遺物であるが、その形鐘に似て、表面には幾何學的模樣の外、往々原始的人物の像を露出したるものなどありて、當時の生活狀態の一端を徵すべきものがある。陳列されて居る古鏡の多くは日本各地の古墳及繼塚ないどから發掘されたもので、上古より室町時代に至る沿革が示されて居る。上古の鏡は支那傳來品と日本鑄造品とあるが、日本鑄造品は槪ね支那鏡の模造である。奈良時代の鏡は唐鏡と區別が出來ない程同一形式のものであるが、藤原時代以後の鏡は支那宋代以後の鏡とは沒交涉で、全く日本的模樣が現はされて居る。身邊裝飾具には古墳より發掘された耳飾、勾玉、玉類などが陳列されて居る。經塚發掘品には經筒、佛像、鏡、短刀、香合その他の器物がある。經塚は祈願のため法華經を書寫し、容器に入れて地下に埋納した塚である。主として平安時代から室町時代に行はれた佛敎風俗で、經卷を納めた經筒には往々願文年號などが記載されて居る。經筒以外の器物はすべて附屬品である。支那の古錢には蟻鼻錢、刀、銅刀、布などが陳列されて居る。これらは圓形內に方孔を有する錢形の成立せざりし以前に流通したものである。また日本の古錢には皇朝十二文錢が出してある。

第九室 歷史部の陳列室で、石器時代の土器、埴輪、日本古陶器、支那朝鮮古陶器及明器が陳列されて居る。

石器時代の土器は彌生式土器と繩文土器に分類して、陳列されて居る。彌生式土器は古史に土師器と記せるものと同一系統に屬し、中部日本以西に多く發見され、繩文式土器は表面に細目文樣あるもので、關東以北に於て多く發見される。埴輪はわが國の古墳の封土を廻りて埋め立てた素燒の土製品である。人物を現はしたものが最も多く、動物、家屋、器什の類を模したのも少くない。埴輪はわが國上代の墳飾を徵すべき遺品であると同時に、その土偶にありては上古の服飾を徵すべく、土馬にありては鞍具の著裝を見るべきものがある。こゝに陳列せる日本古陶器は古墳副葬の遺物ばかりで古史にある「陶部」の製造に係り彌生式土器の一段進步したものである。その裝飾付古陶器はわが國上代の生活樣式を考察すべき好資料である。支那朝鮮古陶器はわが古陶器の源泉が朝鮮にあり、更に遡つて支那にあることを示すために陳列されて居る。明器は支那古墳の內部に遺骸に近く置かれた假器で人物を模したるもの多く、家畜、建築、器什を現はしたのもあり、その時代は漢代のものもあるが、唐代のもの最も多く發見される。この室に陳列されて居るものも人物を模したものが多い。その製作頗る精巧にして三彩の釉藥を施したものもあり、その土偶の現はせる服裝は、わが奈良時代及平安初期の服飾硏究上に好資料を與ふるものである。

下谷・浅草のみどころ