慈眼堂(両大師)
慈眼堂(兩大師)
※現代の景観です。
昭和初期のガイド文
上野公園、東京帝室博物館の東隣にあり、寛永寺の開山慈眼大師(天海僧正)の御影堂で、両大師ともいいます。江戸時代前期の寛永年間(1624~1644年)慈眼大師の入滅後、徳川将軍家が命じて創建させたところです。この堂が両大師と呼ばれるのは、慈眼大師が生前尊崇していた慈慧大師の御影もあわせて安置しているためです。堂の西側から後方には上野法親王守澄、天真、公寛など歴代の輪王寺門跡の御墓があり、宮内省の管理に属しています。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 慈眼堂(両大師)
- かな
- じがんどう(りょうたいし)
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 状態違うが見学可
- 備考
- 現在は開山堂と呼ばれます。平成元年(1989年)に火災で焼失、平成5年(1993年)に再建されました。
- 住所
- 東京都台東区上野公園14-5
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
上野公園、東京帝室博物館の東鄰にあり、寬永寺の開山慈眼大師(天海僧正)の御影堂で、兩大師とも云ふ。寬永年閒慈眼大師入滅後、德川將軍家の命じて創建せしめた所である。この堂を兩大師と稱するのは、慈眼大師の生前尊崇せし慈慧大師の御影をも倂せ安置せるが故である、堂の西側より後方には上野法親王守澄、天眞、公寬など歷代の輪王寺門跡の御墓があり、宮內省の管理に屬して居る。