西白上率都婆と東白上率都婆

白上前峰率都婆と白上率都婆
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

田栖川村栖原苅蘒にあり、明恵上人八所遺蹟のひとつです。施無畏寺の背後白上峰の西の峰が白上前峰(西白峰)、東の峰が白上(東白上)です。白上前峰の率都婆は、脚下断崖絶壁となり、栖原湾口黒島、鷹島、毛無、苅藻の諸島の点在するのを望む風光絶佳の地点に建っています。台石はなく高さ約1.5m、幅26cm、厚さ18cmあり、蘇苔に覆われ、かつ風化して読み難くなっていますが銘文があります。

白上率都婆は西方に田村浦を望見する風光明媚の山上高所にあり、銘文があります。

鎌倉時代の建久6年(1195年)の頃明恵上人が、高尾より紀州へ帰って静坐黙念したところと伝え、のち前峰に居を移したといいます。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
西白上率都婆と東白上率都婆
かな
にししらかみそとうばとひがししらかみそとうば
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
和歌山県有田郡湯浅町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同じく田栖川村栖原苅蘒にあり、明惠上人八所遺蹟の一である。施無畏寺の背後白上峰の西の峰が白上前峰(西白峰)、東の峰が白上(東白上)である。白上前峰の率都婆は、脚下斷崖絕壁をなし、栖原灣口黑島、鷹島、毛無、苅藻の諸島の點在するを望む風光絕佳の地點に建つて居る。臺石なく高さ約一米半、幅二六糎、厚さ一八糎あり、蘇苔に被はれ、且風化して讀み難いが銘文がある。

白上率都婆は西方に田村浦を望見する風光明媚の山上高所にあり、銘文がある。

建久六年の頃明惠上人、高尾より紀州へ歸りて靜坐默念した處と傳へ、のち前峰に居を移したと云ふ。

有田・湯浅のみどころ