浄妙寺

淨妙寺[臨濟宗妙心寺派]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

箕島駅の西南3km、箕島町小豆島の丘陵の南麓、松柏茂る樹林中にあります。平安時代の大同元年(806年)の創立と伝え、何度か兵乱に罹りましたが、本堂と塔婆は兵燹を免れて、現在も往古の規模を伝えています。

本堂(薬師堂)[国宝] 三間三面単層屋根四注造本瓦葺の小宇で、鎌倉末期のものと認められ、内部が非常に美しいものです。床は総拭板敷、天井は折上小組格天井で、中央はさらに一段高い折上小組格天井となっています。堂の中央に須弥壇があり、その後は板張りとなっています。

須弥壇[国宝] 方一間、前面中央に階段があり、壇の周りには高欄を廻らし、胴には形態優美な格挟間を作り、これに青銅押出の鳳凰一対を配してあります。高欄地覆、階段縁等に皆黒漆を施し、一面には宝相華文の螺鈿を鏤め、各部随所に毛彫の金具を装っています。来迎柱も黒漆で、長押には彩画があり、装飾善美を極めて、藤原時代の阿弥陀堂内部の装飾を彷彿とさせるものがあります。壇上には薬師三尊および十二神将の像を安置し、本尊の頭上に吊した天蓋にも彩絵その他の装飾があります。

多宝塔[国宝] 本堂の西側一段高い所にあります。本堂とほぼ同時の建立と認められ、三間三面各層本瓦葺で外観や形態はやや狭小の感があります。しかし内部は本堂同様美麗な装飾を施されています。すなわち柱、長押、須弥壇、四壁はともに黒漆地に各々彩絵があり、四天柱は巻柱で瑞雲宝樹等に彩られています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
浄妙寺
かな
じょうみょうじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
和歌山県有田市宮崎町1000
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

箕島驛の西南三粁、箕島町小豆島の丘陵の南麓、松柏茂れる樹林中にある。大同元年の創立と傳へ、數次兵亂に罹つたが、本堂と塔婆は兵燹を免れて、今に往古の輪奐を遺存して居る。

本堂(藥師堂)[國寶] 三閒三面單層屋根四注造本瓦葺の小宇で、鐮倉末期のものと認められ、內部が頗る美しい。床は總拭板敷、天井は折上小組格天井で、中央は更に一段高い折上小組格天井となつて居る。堂の中央に須彌壇があり、その後は板張りとなつて居る。

須彌壇[國寶] 方一閒、前面中央に階段があり、壇の周りには高欄を廻らし、胴には形態優美な格挾閒を作り、これに靑銅押出の鳳凰一對を配してある。高欄地覆、階段緣等に皆黑漆を施し、一面には寶相華文の螺鈿を鏤め、各部隨所に毛彫の金具を裝うて居る。來迎柱も黑漆で、長押には彩畫があり、裝飾善美を極めて、藤原時代の阿彌陀堂內部の裝飾に彷彿たるものがある。壇上には藥師三尊及十二神將の像を安置し、本尊の頭上に吊した天蓋にも彩繪その他の裝飾がある。

多寶塔婆[國寶] 本堂の西側一段高い所にある。本堂と略同時の建立と認められ、三閒三面各層本瓦葺で外觀形態稍狹小の感がある。倂し內部は本堂同樣美麗なる裝飾を施されて居る。卽ち柱、長押、須彌壇、四壁は共に黑漆地に各々彩繪があり、四天柱は卷柱で瑞雲寶樹等に彩られて居る。

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