明恵紀州遺跡率都婆
明惠上人紀州遺蹟率都婆
昭和初期のガイド文
明恵上人八所遺蹟と称し上人の没後、鎌倉時代の嘉禎2年(1236年)、高足喜海が上人の誕生地有田郡石垣の庄の付近における練行布教の地である白上前峰、白上、星尾、吉原、筏立、糸野、神谷、崎山の8か所に木製の率都婆を建立して由来を記しましたが、後に朽損したので、室町時代の興国6年(1345年)弁迂が一族を勧進して花崗岩をもってこれに代え、旧地に建立したもので、崎山を除いて前記7か所に現存しています。いずれも地上高さ1.5m内外、宝珠を有する笠石もあり、台石はあるものとないものとがあり、表面に梵字ならびに種子表示の仏、菩薩名、由緒記事および左右側に願主氏名、裏面に石造に改めた由来が刻してあります。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 明恵紀州遺跡率都婆
- かな
- みょうえきしゅういせきそとうば
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 和歌山県有田市
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
明惠上人八所遺蹟と稱し上人の歿後嘉禎二年、高足喜海が上人の誕生地有田郡石垣の庄の附近に於ける練行布敎の地である白上前峰白上、星尾、吉原、筏立、絲野、神谷、崎山の八處に木製の率都婆を建立して由來を識したが、後朽損したので、興國六年(康永三年)辨迂が一族を勸進して花崗岩を以てこれに代へ、舊地に建立したもので、崎山を除いて前記七ケ處に現存して居る。何れも地上高さ一米半內外、寶珠を有する笠石あり、臺石はあるものとなきものとあり、表面に梵字竝に種子表示の佛、菩薩名、由緖記事及び左右側に願主氏名、裏面に石造に改めた由來が刻してある。