吉原率都婆(明恵上人誕生地)
吉原率都婆(明惠上人誕生地)[指定史蹟]
昭和初期のガイド文
歓喜寺の西約100m、石垣村歓喜寺にあり、明恵上人八所遺蹟のひとつです。上人(高弁)の父、高倉院武者平重国邸宅跡で、現在約26m²の芝生を遺していますが、その中央に率都婆があり、高さ1.65m、幅26cm、厚さ18cm、表面に銘文があります。
芝生の一部に胎衣塚があり、付近にあった産湯の井戸と伝わるものは現在跡を失いました。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 吉原率都婆(明恵上人誕生地)
- かな
- よしはらそとうば(みょうえしょうにんたんじょうち)
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 和歌山県有田郡有田川町歓喜寺159
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
歡喜寺の西約一〇〇米、石垣村歡喜寺にあり、明惠上人八所遺蹟の一である。上人(高瓣)の父、高倉院武者平重國邸宅址で、今約八坪の芝生を遺して居るが、その中央に率都婆あり、高一米六五、幅二六糎、厚一八糎、表面に銘文がある。
芝生の一部に胎衣塚あり、附近にあつた產湯の井戶と傳ふるものは今跡を失つた。