有田のみかん山
有田の蜜柑山
昭和初期のガイド文
有田川下流一帯の丘陵は紀州みかんの本場で、産額も多く味もよいものです。紀州みかん栽培の起源は古いですが、その名を歌われるようになったのは、藩主徳川頼宣の奨励以来です。江戸時代前期の寛永年間(1624~1644年)に一代の風雲児紀国屋文左衛門の壮図以来、江戸への販路が拓け、また近年は遠く海外中国、露領アジア、アメリカ、カナダまでも販路が拡張されました。和歌山県下は土質、気候とも柑橘類の栽培に適し、県下の柑橘の年産総額は9,750万kg、価格480万円におよび、うち有田郡での産額は3,370万kg、価格160万円で、主なものは温州みかんです。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 有田のみかん山
- かな
- ありだのみかんやま
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 和歌山県有田市
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
有田川下流一帶の丘陵は紀州蜜柑の本場で、產額も多く味もよい。紀州蜜柑栽培の起源は古いが、その盛名を歌はるゝ樣になつたのは、藩主德川賴宣の奬勵以來である。寬永年閒に一代の風雲兒紀國屋文左衞門の壯圖以來、江戶への販路拓け、また近年は遠く海外支那、露領亞細亞、アメリカ、カナダまでも販路が擴張された。和歌山縣下は土質、氣候共柑橘類の栽培に適し、縣下柑橘年產總額九千七百五十萬瓩、價格四百八十萬圓に及び、內有田郡產額三千三百七十萬瓩、價格百六十萬圓で、主なるものは溫州蜜柑である。