国泰寺のクスノキ

國泰寺の樟[指定天然記念物]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

国泰寺境内共同墓地に北中東南の4株あり、樹齢300年以上、樹勢は雄大崇高で、それぞれの高さは30m、17m、28m、20m、廻りは7.3m、4.8m、5.5m、4.1mです。伝説によると、江戸時代前期の元和9年(1623年)国泰寺の開山嫩桂大和尚が植栽したといいます。寺の北道路を隔てた袋町に、頼春水の宅の跡があります。ここは頼山陽が日本外史の著述に心血を注いだところです。江戸時代後期の文化11年(1814年)9月11日山陽海路東上の際、この樹を遠望して次の詩を吟じました。舟進洲移城漸遠、遥見送者自厓返、一株如蓋立薄暮、猶認爺家対門樹。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
国泰寺のクスノキ
かな
こくたいじのくすのき
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
昭和20年(1945年)の原爆により倒壊しました。

日本案内記原文

國泰寺境內共同墓地に北中東南の四株あり、樹齡三百餘年、樹勢雄大崇高、それぞれの高さは三〇米、一七米、二八米、二〇米、廻りは七米三、四米八、五米半、四米一である。傳說に據ると、元和九年國泰寺の開山嫩桂大和尙が植栽したと云ふ。寺の北道路を隔てた袋町に、賴春水の宅の址がある。こゝは賴山陽が日本外史の著述に心血を注いだ所である。文化十一年九月十一日山陽海路東上の際、この樹を遠望して次の詩を吟じた。舟進洲移城漸遠、遙見送者自厓返、一株如蓋立薄暮、猶認爺家對門樹。

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