広島大本営

廣島大本營[指定史蹟]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

広島城本丸跡の中央にある木造2階建洋館で、旧第五師団司令部の建物です。日清戦争の際、明治天皇が親しく陣を進められ滞在された行在所です。階上階下にわたって各室が当時のまま残り、階上中央の玉座の間は会議室をそのままに用いたもので、椅子、火鉢、卓などが置かれ、次の間の壁には素丸竹の衣桁がそのまま保存されています。天皇には明治27年(1894年)9月15日、大本営をここに進転され、師団司令部をもってこれにあてられ、7か月半滞在され、つとめて簡素を旨とされてつぶさに軍務を統括され、同28年(1895年)4月27日をもってここを発たれました。建物の向かって左に明治28年3月、昭憲皇太后の御座所であった建物があります。大本営は有料で拝観することができます。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
広島大本営

令和に見に行くなら

名称
広島大本営
かな
ひろしまだいほんえい
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
昭和20年(1945年)の原爆により倒壊しました。

日本案内記原文

廣島城本丸址の中央にある木造二階建洋館で、舊第五師團司令部の建物である、明治二十七八年日淸戰役の際、明治天皇親しく大纛を進め給ひ御駐輦あらせられた行在所である。階上階下に亙りて各室當時の儘を遺存し、階上中央の玉座の閒は會議室をその儘に用ゐたもので、御椅子、火鉢、卓等が置かれ、次の閒の壁には素丸竹の御衣桁がそのまま保存せられて居る。天皇には明治二十七年九月十五日、大本營をこゝに御進轉あり、師團司令部を以てこれに充てられ、御駐輦七箇月半、つとめて簡素を旨とせられて具に軍務を統べ給ひ、同二十八年四月二十七日を以て御發輦還幸し給うた。建物の向つて左方に明治二十八年三月、昭憲皇太后の御座所であつた建物がある。大本營は有料で拜觀せしめて居る。

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