国泰寺

國泰寺[曹洞宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

広島駅の西2km、電車袋町下車、市内小町にあります。初めは安国寺と称し、安土桃山時代の文禄3年(1594年)毛利氏が京都東福寺の恵瓊(西堂)に創建させました。慶長6年(1601年)福島正則が普照禅師を迎え臨済宗を改めて曹洞宗とし、豊臣秀吉の諡号に基づいて国泰寺と改称しました。伽藍は明治9年(1876年)羅災後の建築です。境内に浅野家歴代墳墓、豊臣秀吉遺髪塚、大石良雄室石束氏および三男大、三郎墓等があります。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
国泰寺
かな
こくたいじ
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
昭和20年(1945年)の原爆により全焼全壊し、戦後に西区己斐上へ移転して再建されました。跡地はANAクラウンプラザホテルのあたり。

日本案内記原文

廣島驛の西二粁、電車袋町下車、市內小町にある。初め安國寺と稱し、文祿三年毛利氏京都東福寺惠瓊(西堂)をして創建せしめた。慶長六年福島正則普照禪師を迎へ臨濟宗を改めて曹洞宗となし、豐臣秀吉の諡號に基きて國泰寺と改稱した。伽藍は明治九年羅災後の建築である。境內に淺野家歷代墳墓、豐臣秀吉遺髮塚、大石良雄室石束氏及三男大、三郞墓等がある。

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