不動院

不動院[眞言宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

広島駅の北約3km、牛田町新山、太田川の左岸景勝の地にあり、自動車の便があります。もと足利氏が諸国に建てた安国寺のひとつです。住僧恵瓊が安国寺を広島に建てて移った後、福島正則が熱田不動院の僧宥珍をこちらに住まわせてから不動院と称するに至ったといいます。

楼門 金堂の前面にあり、三間二面重層入母屋造本瓦葺江戸時代の建築です。寺伝に朝鮮から移したものだといいますが、尾棰木の末に朝鮮木、文禄三と彫り付たのをところどころに発見します。

金堂[国宝] 桁行五間、梁間六間、重層、屋根入母屋造、杮葺の大建築です。上層三間四面、二重扇棰を配し、桝組は唐様三手先の詰組を用い、隅軒著しく反転し、各部の均衡、繁簡よく、非常に軽快典雅な外観をしています。内部は土間で総漆喰塗で中央に須弥壇があります。寺伝では文禄の役に楼門とともに朝鮮から移して恵瓊がこれを建てたといいますが、天井雲竜画の落款に「天文庚子冬十月日僧永怡筆」とあります。要するにこの建築は室町末期における禅宗建築の代表的な遺構です。

薬師如来坐像[国宝] 金堂安置の本尊です。木造漆箔、面相円満、衣文流麗で藤原時代の典型的な作です。

鐘楼 国宝の銅製朝鮮鐘がかかっています。鐘に天人の像と相対する2か所の蓮華撞座のほかにまた2か所に蓮華形の装飾があって、内に菩薩とその肩に信相菩薩と読める凸銘があるのは珍らしいものです。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
不動院金堂

令和に見に行くなら

名称
不動院
かな
ふどういん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
広島県広島市東区牛田新町3-4-9
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

廣島驛の北約三粁、牛田町新山、太田川の左岸景勝の地にあり、自動車の便がある。もと足利氏が諸國に建てた安國寺の一である。當寺の住僧惠瓊が安國寺を廣島に建てゝ移つた後、福島正則が熱田不動院の僧宥珍を當寺に住せしめてから不動院と稱するに至つたと云ふ。

樓門 金堂の前面にあり、三閒二面重層入母屋造本瓦葺江戶時代の建築である。寺傳に朝鮮から移したものだと云ふが、尾棰木の末に朝鮮木、文祿三と彫り付たのを所々に發見する。

金堂[國寶] 桁行五閒、梁閒六閒、重層、屋根入母屋造、杮葺の大建築である。上層三閒四面、二重扇棰を配し、桝組は唐樣三手先の詰組を用ゐ、隅軒著しく反轉し、各部の權衡、繁簡よろしきを得、頗る輕快典雅な外觀を呈して居る。內部は土閒で總漆喰塗で中央に須彌壇がある。寺傳では文祿の役に樓門と共に朝鮮から移して惠瓊がこれを建てたと云ふが、天井雲龍畫の落款に「天文庚子冬十月日僧永怡筆」とある。要するにこの建築は室町末期に於ける禪宗建築の代表的一遺構である。

藥師如來坐像[國寶] 金堂安置の本尊である。木造漆箔、面相圓滿衣文流麗にして藤原時代の典型的な作である。

鐘樓 國寶の銅製朝鮮鐘がかゝつて居る。鐘に天人の像と相對二箇所の蓮華撞座の外にまた二箇所に蓮華形の裝飾があつて、內に菩薩とその肩に信相菩薩と讀める凸銘があるのは珍らしい。

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