興聖寺
興聖寺[曹洞宗]
昭和初期のガイド文
宇治川右岸朝日山の中腹にあります。鎌倉時代の天福元年(1233年)に道元を開祖として、弘誓院正覚禅尼が建立したもので、日本最初の曹洞宗禅刹です。道元はここを詮恵に任せ、去って永平寺を開創しました。この寺は建長の頃以後数回の兵火に遭って廃絶しましたが、江戸時代前期の慶安2年(1649年)淀城主永井尚政がこれを再興し、万安和尚を招いて堂塔を再建したのが現在の堂宇です。宇治川に臨んで建っている石門を入り琴坂を上ると、その左右には桜、カエデ、ヤマブキ、ヒメツツジなどが多く見られます。朝日山を庭中にとり入れて、結構雅致ある諸堂宇がその間に配置され、一仙境をなしています。
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 興聖寺
- かな
- こうしょうじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 京都府宇治市宇治山田27
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
宇治川右岸朝日山の中腹にある。天福元年に道元を開祖として、弘誓院正覺禪尼の建立したもので、日本最初の曹洞宗禪刹である。道元はこれを詮惠に付し、去つて永平寺を開創した。この寺は建長年後數回の兵火に遭うて廢絕したが、慶安二年淀城主永井尙政これを再興し、萬安和尙を請じて堂塔を再建したのが今の堂宇である。宇治川に臨んで建つて居る石門を入り琴坂を上ると、その左右には櫻、楓、山吹、姬躑躅等が多い。朝日山を庭中にとり入れて、結構雅致ある諸堂宇その閒に配置され、一仙境をなして居る。