萬福寺

黃檗山萬福寺[黃葉宗大本山]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

京阪電車宇治線黄檗下車、黄檗山の麓、幽邃の地にあり、江戸時代前期の承応3年(1654年)に来朝した中国の僧隠元によって創建されました。その建築は明の様式を採用したものとして、長崎の崇福寺などとともに極めて珍らしい例です。堂塔の配置は左右対称となっていて、細部に明式と和様を折衷しています。まず中国の牌楼の様な惣門を入ると右に放生池があり、池の東に三門、それより奥へ順次高く境内の中軸を一列に天王殿、本堂(仏殿)、法堂が並び、本堂の前面左右に鐘楼と鼓楼、伽藍堂と祖師堂、斎堂と禅堂とを互いに向き合わせ、また法堂の左右すなわち南北には、東方丈と西方丈とが建っています。以上列挙の諸堂はいずれも黄檗宗の代表的伽藍建築です。

総門[国宝] 三間一戸、屋根切妻造本瓦葺、江戸時代中期の元禄6年(1693年)の建築で、左右に一段低い袖屋根があります。正面にかかげられた横額の三字「第一義」は高泉の筆です。左右の柱に懸けた長い連には「聖主賢臣悉仰尊」および「宗綱済道重恢廓」の文があります。

三門[国宝] 放生池の東にあり、三間一戸軍層入母屋本瓦葺、延宝6年(1678年)の大建築で、大棟の中央には火炎付の瓦製宝珠をあげています。下層の桝組は唐様二手先にして、上層は同じく唐様の三手先に尾棰を加えています。柱はすべて円柱で、石製太鼓形の礎盤の上に建っています。

天王殿[国宝] 三門を入って直進すると、高い石壇上に建ち石階を登って達します。五間三面、単層、屋根入母屋造本瓦葺、前面一間通を吹き放って外陣としています。内外両陣とも瓦敷で、内陣には中央の須弥壇上に布袋の坐像を祀り、左右両側には四天王の像を安置しています。

本堂(仏殿)[国宝] 大雄寳殿とも呼ばれ、天王殿の後方にあり、五間六面重層、屋根入母屋造本瓦葺、前面一間通を外陣とし柱間を吹き放っています。内陣は外陣と同様瓦敷で、中央に釈迦、阿難、迦葉、左右に十六羅漢の木像を安置しています。仏殿の前面には月台と呼ばれる広い壇があって建築に一種の威容を添えています。

法堂[国宝] 本堂の後方に一段高く石壇上に建っています。寛文2年(1662年)の建築、桁行五間梁間六間、単層、屋根入母屋造桟瓦葺です。正面一間通を外陣となし、前面に高欄を設け卍字崩の組子を入れ、一見中国趣味を現しています。その軒裏は茨形棰をさし伸べて蛇腹を作っているのは、本堂および天王殿の場合と同様で、黄檗建築に見られるひとつの特徴です。内部は瓦敷で中央に須弥壇があります。法堂は説法の道場で、須弥壇上には仏像が安置されていません。

  • 宝物
  • 西湖図[国宝] 紙本淡彩 伝池大雅筆 四幅
  • 虎渓三笑図[国宝] 紙本淡彩 伝池大雅筆 八幅
  • 五百羅漢図[国宝] 紙本淡彩 伝池大雅筆 八幅
  • 瀑布図[国宝] 紙本淡彩 伝池大雅筆
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
萬福寺仏殿 萬福寺総門

令和に見に行くなら

名称
萬福寺
かな
まんぷくじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府宇治市五ヶ庄三番割34
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

京阪電車宇治線黃檗下車、黃檗山の麓、幽邃の地にあり、承慶三年に來朝した支那の僧隱元によつて創建された。その建築は明の樣式を採用したものとして、長崎の崇福寺などと共に極めて珍らしい例である。堂塔の配置は左右相稱式に從ひ、細部に明式と和樣を折衷して居る。先づ支那の牌樓の樣な惣門を入ると右に放生池があり、池の東に三門、それより奧へ順次高く境內の中軸を一列に天王殿、本堂(佛殿)、法堂が竝び、本堂の前面左右に鐘樓と鼓樓、伽藍堂と祖師堂、齋堂と禪堂とを相對向せしめ、また法堂の左右卽ち南北には、東方丈と西方丈とが建つて居る。以上列舉の諸堂は何れも黃檗宗の代表的伽藍建築である。

總門[國寶] 三閒一戶、屋根切妻造本瓦葺、元祿六年の建築で、左右に一段低き袖屋根がある。正面にかゝげられた橫額の三字「第一義」は高泉の筆である。左右の柱に懸けた長き聯には「聖主賢臣悉仰尊」及「宗綱濟道重恢廓」の文がある。

三門[國寶] 放生池の東にあり、三閒一戶軍層入母屋本瓦葺、延寶六年の大建築で、大棟の中央には火炎附の瓦製寶珠をあげて居る。下層の桝組は唐樣二手先にして、上層は同じく唐樣の三手先に尾棰を加へて居る。桂はすべて圓柱で、石製太鼓形の礎盤の上に建つて居る。

天王殿[國寶] 三門を入つて直進すると、高い石壇上に建ち石階を登つて達する。五閒三面、單層、屋根入母屋造本瓦葺、前面一閒通を吹き放つて外陣となす。內外兩陣とも瓦敷で、內陣には中央の須彌壇上に布袋の坐像を祀り、左右兩側には四天王の像を安置して居る。

本堂(佛殿)[國寶] 大雄寳殿とも稱し、天王殿の後方にあり、五閒六面重層、屋根入母屋造本瓦葺、前面一閒通を外陣となし柱閒を吹き放つて居る。內陣は外陣と同樣瓦敷で、中央に釋迦、阿難、迦葉、左右に十六羅漢の木像を安置して居る。佛殿の前面には月臺と稱する廣い壇があつて建築に一種の威容を添へて居る。

法堂[國寶] 本堂の後方に一段高く石壇上に建つて居る。寬文二年の建築、桁行五閒梁閒六閒、單層、屋根入母屋造棧瓦葺である。正面一閒通を外陣となし、前面に高欄を設け卍字崩の組子を入れ、一見支那趣味を現はして居る。その軒裏は茨形棰をさし伸べて蛇腹を作つて居るのは、本堂及天王殿の場合と同樣で、黃檗建築に見る一の特徵である。內部は瓦敷で中央に須彌壇がある。法堂は說法の道場で、須彌壇上には佛像が安置されて居ない。

  • 寶物
  • 西湖圖[國寶] 紙本淡彩 傳池大雅筆 四幅
  • 虎溪三笑圖[國寶] 紙本淡彩 傳池大雅筆 八幅
  • 五百羅漢圖[國寶] 紙本淡彩 傳池大雅筆 八幅
  • 瀑布圖[國寶] 紙本淡彩 傳池大雅筆

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