有智山城

內山館址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

竈門神社の東北1.5km、太宰府町内山九重ヶ原にあります。少弐氏代々の居館跡で、堀と土手とが二重に遺存しています。源頼朝の奥州征伐の時、武藤小次郎資頼が太宰少弐に任命され、以来子孫が世襲してここに居住し少弐をもって称号としました。少弐政資が室町時代の永正中(1504~1521年)水城で討死し、11代220年あまりにして滅亡しました。資頼の墓とされるものが都府楼跡の東300mにあります。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
有智山城
かな
うちやまじょう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
福岡県太宰府市内山
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

竈門神社の東北一粁半太宰府町內山九重ケ原にある。少貳氏代々の居館址で、堀と土手とが二重に遺存して居る。源賴朝奧州征伐の時武藤小次郞資賴、太宰少貳に任ぜられ、爾來子孫世襲してこゝに居住し少貳を以て稱號とした。少貳政資永正中水城に於て討死し、十一代二百二十餘年にして滅亡した。資賴の墓と稱するものが都府樓址の東三〇〇米にある。

二日市・太宰府のみどころ