戒壇院

戒壇院[臨濟宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

観世音寺の西側に接して一画をなしています。

この寺は観世音寺が造営された後、間もなく奈良時代の天平宝字5年(761年)に付設されたものです。以来奈良の東大寺、下野の薬師寺とともに天下三戒壇のひとつとして知られました。近世戒壇院は観世音寺から分離し、今は博多の聖福寺に属しています。現に五間五面、重層素木造本瓦葺の本堂があり、国宝の盧舎那仏坐像を安置しています。木造漆箔、高さ約152cm、両手を胸前にあつめ、転法輪の印に近い印相を結んでいます。彫法は非常に明快で衣文の刻みも流麗、藤原末期の作と思われます。左右の脇侍文殊および弥勒の両像は江戸時代の作でしょう。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
戒壇院
かな
かいだんいん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
福岡県太宰府市観世音寺5-6-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

觀世音寺の西側に接して一畫をなして居る。

當院は觀世音寺の造營された後、閒もなく天平寶字五年に附設されたのである。爾來奈良の東大寺、下野の藥師寺と共に天下三戒壇の一として著はれた。近世戒壇院は觀世音寺より分離し、今は博多の聖福寺に屬して居る。現に五閒五面、重層素木造本瓦葺の本堂があり、國寶の盧舍那佛坐像を安置して居る。木造漆箔、高さ約五尺、兩手を胸前にあつめ、轉法輪の印に近い印相を結んで居る。彫法頗る明快衣文の刻みも流麗にして藤原末期の作と思はれる。左右の脇侍文殊及彌勒の兩像は江戶時代の作であらう。

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