観世音寺

觀世音寺[天臺宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

二日市駅の北約2km、筑紫郡水城村にあり、自動車の便があります。

斉明天皇のため天智天皇が創建されたもので、奈良朝以来の名刹で奈良の東大寺、下野の薬師寺とともに日本三戒壇のひとつとされました。天平17年(745年)には僧玄肪を遣わせて諸堂の造営にあたらせ翌年落慶供養が修せられました。その後何度か災火に罹り、中世には寺運が傾き、現存の堂宇はすべて江戸時代の再建となるもので、往時を偲ぶべきものはなにもないが、その本堂と阿弥陀堂(金堂)に安置された多数の仏像は、藤原時代あるいは鎌倉時代に作られた優秀なもので、九州地方で稀に見る壮観を呈しています。

講堂 堂の内外には奈良時代の礎石が残存していますが、現在の講堂は江戸時代中期の元禄年間(1688~1704年)に再建されたものです。五間四面、軍層本瓦葺の建築で、堂内には次の諸仏が安置されています。

聖観音坐像[国宝] 本堂の本尊で須弥壇の中央に安置されています。寄木造、漆箔、高さ3m15cm、宝髪天冠を戴き、花冠瓔珞を着け、左右の肩から胸に天衣を垂れ、左手に蓮華を持ち、右手は施無畏の印を結んでいます。面相優雅で彫法穏健、衣文流麗にして藤原時代の特徴を残しています。

十一面観音立像[国宝] 本尊聖観音像の右脇に安置されています。木造、内刳漆箔、高さ約一丈五尺、頭に十一面を戴き天冠台を着け天衣を両肩に垂れ、胸に瓔珞をかけ、右手を垂れ、左手に水瓶を持つています。鎌倉時代の作です。

不空羂索観音立像[国宝] 本尊の左脇に安置されています。高さ6m、木造漆箔、十一面三目八臂、クスノキ一木造の巨像です。上より第一手は右に錫杖、左に蓮華、第二手は右に剣左に白払を執り、第三手は合掌、第四手は垂れ、左に羂索を握り、右に与願印を結び、天衣を両肩より垂れています。胎内銘によって本像はもと塑像でしたが、鎌倉時代の承久3年(1221年)7月12日夜に転倒破壊したので、貞応元年(1222年)8月14日大仏師僧琳厳、小仏師僧長尊によって現存の像が造られたことが明らかとなっています。大正年間修理の際仏体中から紺紙金泥の法華経第七巻および長さ6.4mの不空羂索呪経全一巻およびもとの塑像の宝髪鼻耳その他の部分と塑像の心木等が現れました。これによって本像は藤原時代の様式を伝える鎌倉中期の作であることがわかります。

馬頭観音立像[国宝] 本堂内前方向かって左側に安置されています。寄木造、漆箔、高さ5.5m、馬頭観音としては稀に見る巨像で、四面八臂、各面三目焰髪をもち、頭上に馬頭を戴いています。正面の真手は合掌し、ほかの六手は左右に伸べて鉄斧、三鈷剣、念珠、輪宝、宝棒等を執り、毅然として立ち、体軀肥満翻波式の衣文を刻む裳をつけています。寺伝に平安時代の大治年中(1126~1131年)太宰大弐経忠の寄進といいますが製作は実際にその頃のものです。

十一面観音立像[国宝] 馬頭視音像と向かい合って須弥壇の前方に立っています。木造漆箔高さ3.8m、左手は屈臂して水瓶を持ち、右手は垂下与風印を結んでいます。本像は寺伝に保延年中(1135~1141年)別当阿闍梨維覚作とありますが、手法から見てむしろ保延以前の製作とすべく、この寺で所蔵する仁治3年(1242年)の造像記によると、保延年中に維覚が造立した十一面観音がすでに朽損したため、新たに造立したようで、前記の十一面が正しくそれに該当します。本像は本堂中最古の像であって彫法の明快な優秀作です。

阿弥陀堂 本堂の前方右側にあり、もと金堂と称したものです。五間四面単層入母屋造、本瓦葺、江戸時代の建築ですが、本尊阿弥陀仏をはじめ多くの優秀な古仏像が安置されています。

阿弥陀坐像[国宝] 阿弥陀堂の本尊です。木造漆箔、高さ2.7m、上品上生の印を結び、八角形の台座に坐る結跏趺坐の像で、慈悲相に溢れ、刀法流麗、よく藤原時代の特色を現した作です。

四天王像[国宝] 本尊阿弥陀仏の左右に2体ずつ安置されています。木造、高さ各2.7mあまり、全身の釣合は極めて巧妙で、面相の表情非常に沈着、彫法は確実で、四天王中の優作で平安時代の作です。

吉祥天立像[国宝] 阿弥陀堂内に安置されています。木造著色、高さ2.7m、白色豊頬、身体も柔か味に富んだ肉付が見られ、天女像としてふさわしい姿態を現した藤原時代の優秀な作です。

聖観音立像[国宝] 阿弥陀堂内安置、一木造、高さ2.1m、右手を垂下し、左手に蓮茎を持っています。姿態はよく整い、面相豊満、滋顔温容、刀法巧緻、衣紋流麗、藤原時代の優秀な作です。

地蔵菩薩半跏像[国宝] 右手に錫杖を持ち、左手に宝珠を捧げ、巌上に坐しています。面貌慈悲に満ち法体豊満、衣紋流麗、鎌倉初期の優秀な作です。

阿弥陀如来立像[国宝] 阿弥陀堂内安置、檜一木造、高さ194cm、上品下生の印を結んで立ち、堂々たる容姿をそなへた像で、彫法に一種の特色があります。平安時代の優秀な作です。

毘沙門天像[国宝] 阿弥陀堂内安置、一木造著色、高さ五尺二寸八分、いわゆる兜跋毘沙門天に属する形相を備えています。上体はやや細く引締り、腰部以下は特に肥り鈍重な感を与えています。これは一木彫に見るひとつの特徴でかえってそれが力強い表現となっています。平安時代の作と思われます。しかし像の形態には推古奈良朝以来の四天王像中の毘沙門天と同様古風な点が見られます。

大黒天立像[国宝] 阿弥陀堂内安置、一木造、彩色剝落、高さ2.2m、頭に幞頭を被り、袋を背負い、左手にその端を握り、右手は拳印を結んで腰にあて、体を少し捻り、靴を穿って軽く立っています。この像は厨房神として造られた古式の像です。様式は簡素で刀法穏健、藤原時代の作です。

  • 宝物
  • 狛犬[国宝] 一対 石造、高さ約20cm。ひとつは前足で毬を押さえ、ひとつは仔獅子をなでています。鎌倉時代宋風の影響を受けた作です。
  • 舞楽面[国宝] 三面 木造黒漆の上に彩色を施しています。陵王一面、納曽利二面です。いずれも鎌倉時代の作ですが内面に室町時代の応永10年(1403年)の修理銘があります。
  • 天蓋光心[国宝] 一個 銅製、直径48cm八花形銅板の中央に、直径25cmの鏡鑑が嵌入されています。光心の外郭となる部分はすべて失われているため、現在その全形を知ることはできません。特に珍しいのは鏡背の模様です。すなわちその外区には禽獣、魚竹、草樹合壁、金勝並出瑞図の文字を現し、各文字の間には十二支獣を配しています。中区は嘉麦、嘉瓜、比目魚、連理樹、合壁、鳳凰、嘉禾、合歓蓮、比翼速理竹、金勝、同心鳥の文字とその図とを並べ現しています。また内品にはその中心にある紐を囲んで四山を現し、さらに東西南北を表象する青竜、白虎、朱雀、玄武、および雲文を現しているこの種の鏡艦は宋代のものと思われますが、この鏡を中心に嵌装してこの天蓋が製作されたのは、この寺の再興された藤原時代治暦年間(1065~1069年)のことでしょう。
  • 銅鐘[国宝] 鐘楼にかかっています。高さ156cm、口径106cm、形態はやや細く瀟洒な風韻があります。竜頭は両頭相合し、周囲袈裟形無地、天地両帯に流麗なる唐草交をめぐらし、撞坐は十二葉で、前後に二箇その位置が非常に高いのも特色です。製作は奈良時代初期のこの寺創立当初のもので、菅公が「都府楼繞看瓦色観音寺唯聴鐘声」と詠じたのもこの鐘です。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
観世音寺馬頭観音像

令和に見に行くなら

名称
観世音寺
かな
かんぜおんじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
福岡県太宰府市観世音寺5-6-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の北約二粁、筑紫郡水城村にあり、自動車の便がある。

當寺は齊明天皇の御爲め天智天皇の創建せしめられたもので、奈良朝以來の名刹で奈良の東大寺、下野の藥師寺と共に日本三戒壇の一と稱せられた。天平十七年には僧玄肪を遣はして諸堂の造營に當らしめ翌年落慶供養が修せられた。その後數次災火に罹り、中古寺運漸く傾き、現存の堂宇はすべて江戶時代の再建にかゝり、何等往時を偲ぶべきものはないが、その本堂と阿彌陀堂(金堂)に安置された多數の佛像は、藤原時代或は鐮倉時代に作られた優秀なもので、九州地方稀に見る壯觀を呈して居る。

講堂 堂の內外には奈良時代の礎石が殘存して居るが、今の講堂は元祿年閒に再建されたものである。五閒四面、軍層本瓦葺の建築で、堂內には左の諸佛が安置されて居る。

聖觀音坐像[國寶] 本堂の本尊で須彌壇の中央に安置されて居る。寄木造、漆箔、高さ八尺三寸、寶髮天冠を戴き、花冠瓔珞を着け、左右の肩から胸に天衣を垂れ、左手に蓮華を持ち、右手は施無畏の印を結んで居る。面相優雅彫法穩健、衣文流麗にして藤原時代の特徵を存して居る。

十一面觀音立像[國寶] 本尊聖觀音像の右脇に安置されて居る。木造、內刳漆箔、高さ約一丈五尺、頭に十一面を戴き天冠臺を着け天衣を兩肩に垂れ、胸に瓔珞をかけ、右手を垂れ、左手に水甁を持つて居る。鐮倉時代の作である。

不空羂索觀音立像[國寶] 本尊の左脇に安置されて居る。高さ一丈八尺、木造漆箔、十一面三目八臂、樟一木造の巨像である。上より第一手は右に錫杖、左に蓮華、第二手は右に劍左に白拂を執り、第三手は合掌、第四手は垂れ、左に羂索を握り、右に與願印を結び、天衣を兩肩より垂れて居る。胎內銘によつて本像はもと塑像であつたが、承久三年七月十二日夜に顛倒破壞したので、貞應元年八月十四日大佛師僧琳嚴、小佛師僧長尊によつて現存の像の造られた事が明かにされて居る。大正年閒修理の際佛體中から紺紙金泥の法華經第七卷及長さ一丈八尺九寸の不空羂索呪經全一卷及もとの塑像の寶髮鼻耳その他の部分と塑像の心木等が現はれた。これによつて本像は藤原時代の樣式を傳ふる鐮倉中期の作であることが判る。

馬頭觀音立像[國寶] 本堂內前方向つて左側に安置されて居る。寄木造、漆箔、高さ一丈六尺六寸、馬頭觀音としては稀に見る巨像で、四面八臂、各面三目焰髮を有し、頭上に馬頭を戴いて居る。正面の眞手は合掌し、他の六手は左右に伸べて鐵斧、三鈷劍、念珠、輪寶、寶棒等を執り、毅然として立ち、體軀肥滿飜波式の衣文を刻める裳をつけて居る。寺傳に大治年中太宰大貳經忠の寄進と云ふが製作は正しくその頃のものである。

十一面觀音立像[國寶] 馬頭視音像と向合つて須彌壇の前方に立つて居る。木造漆箔高さ十尺、左手は屈臂して水甁を持ち、右手は垂下與風印を結んで居る。本像は寺傳に保延年中別當阿闍梨維覺作とあるが、手法から見て寧ろ保延以前の製作とすべく、當寺所藏の仁治三年の造像記に據ると、保延年中に維覺が造立した十一面觀音が既に朽損したので、新にそれを造立した樣であつて、前記の十一面が正しくそれに該當する。本像は本堂中最古の像であつて彫法の明快な優秀作である。

阿彌陀堂 本堂の前方右側にあり、もと金堂と稱したものである。五閒四面單層入母屋造、本瓦葺、江戶時代の建築であるが、本尊阿彌陀佛をはじめ多くの優秀な古佛像が安置されて居る。

阿彌陀坐像[國寶] 阿彌陀堂の本尊である。木造漆箔、高さ七尺二寸、上品上生の印を結び、八角形の臺座に坐せる結跏趺坐の像で、慈悲相に溢れ、刀法流麗、よく藤原時代の特色を現はした作である。

四天王像[國寶] 本尊阿彌陀佛の左右に二體づつ安置されて居る。木造、高さ各七尺餘、全身の釣合極めて巧妙、面相の表情甚だ沈着、彫法確實にして、四天王中の優作で平安時代の作である。

吉祥天立像[國寶] 阿彌陀堂內に安置されて居る。木造著色、高さ七尺一寸、白色豐頬、身體も柔か味に富んだ肉付を有し、天女像としてふさはしい姿態を現はした藤原時代の優秀な作である。

聖觀音立像[國寶] 阿彌陀堂內安置、一木造、高さ五尺五寸、右手を垂下し、左手に蓮莖を持つ。姿態よく整ひ、面相豐滿、滋顏溫容、刀法巧緻、衣紋流麗、藤原時代の優秀な作である。

地藏菩薩半跏像[國寶] 右手に錫杖を持ち、左手に寶珠を捧げ、巖上に坐して居る。面貌慈悲に滿ち法體豐滿、衣紋流麗、鐮倉初期の優秀な作である。

阿彌陀如來立像[國寶] 阿彌陀堂內安置、檜一木造、高さ五尺一寸、上品下生の印を結んで立ち、堂々たる容姿をそなへた像で、彫法に一種の特色がある。平安時代の優秀な作である。

毘沙門天像[國寶] 阿彌陀堂內安置、一木造著色、高さ五尺二寸八分、所謂兜跋毘沙門天に屬する形相を備へて居る。上體は稍細く引締り、腰部以下は特に肥り鈍重な感を與へて居る。これは一木彫に見る一の特徵で卻てそれが力强い表現となつて居る。平安時代の作と思はれる。然し像の形態には推古奈良朝以來の四天王像中の毘沙門天と同樣古風な點が見られる。

大黑天立像[國寶] 阿彌陀堂內安置、一木造、彩色剝落、高さ五尺六寸七分、頭に幞頭を被り、袋を負ひ、左手にその端を握り、右手は拳印を結んで腰にあて、體を少し捻り、沓を穿つて輕く立つて居る。この像は厨房神として造られた古式の像である。樣式簡素にして刀法穩健、藤原時代の作である。

  • 寶物
  • 狛犬[國寶] 一對 石造、高さ約二。一は前足で毬を押へ、一は仔獅子を撫して居る。鐮倉時代宋風の影響を受けた作である。
  • 舞樂面[國寶] 三面 木造黑漆の上に彩色を施す。陵王一面、納曾利二面である。何れも鐮倉時代の作であるが內面に應永十年の修理銘がある。
  • 天蓋光心[國寶] 一個 銅製、徑一尺二寸五分八花形銅板の中央に、徑六寸六分の鏡鑑が嵌入されて居る。光心の外郭を成した部分は悉く缺失せるため、今天讀の全形を知ることは出來ない。特に珍らしいのは鏡背の模樣である。卽ちその外區には禽獸、魚竹、草樹合壁、金勝竝出瑞圖の文字を現はし、各文字の閒には十二支獸を配して居る。中區は嘉麥、嘉瓜、比目魚、連理樹、合壁、鳳凰、嘉禾、合歡蓮、比翼速理竹、金勝、同心鳥の文字とその圖とを竝べ現はして居る。また內品にはその中心にある紐を圍んで四山を現はし、更に東西南北を表象せる靑龍、白虎、朱雀、玄武、及雲文を現はして居るこの種の鏡艦は宋代のものと思はれるが、この鏡を中心に嵌裝してこの天蓋が製作されたのは、當寺の再興された藤原時代治曆年閒のことであらう。
  • 銅鐘[國寶] 鐘樓に懸て居る。高さ四尺一寸、口徑二尺八寸、形態稍々細く瀟洒な風韻がある。龍頭は兩頭相合し、周圍袈裟形無地、天地兩帶に流麗なる唐草交を續らし、撞坐は十二葉で、前後に二箇その位置の非常に高いのも特色である。製作は奈良時代初期當寺創立當初のもので、菅公が「都府樓繞看瓦色觀音寺唯聽鐘聲」と詠じたのもこの鐘である。

二日市・太宰府のみどころ