瑞龍寺

瑞龍寺[黃檗宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電元町二丁目下車、難波元町二丁目にあります。元薬師寺と呼ばれた寺で、江戸時代前期の寛文年間(1661~1673年)鉄眼(道光)和尚を招いて住持とし、延宝4年(1676年)今の寺号に改めました。俗に鉄眼寺と称します。境内は広く、諸堂並び建ち、規模は宇治の万福寺に次ぐといいます。隠元、木菴高泉、鉄眼等の額および柱聯等が諸堂にかかっています。境内に鉄眼和尚の墓碑があり、開山和尚荼毘所と題し覆堂内にあります。鉄眼は寛永7年(1630年)肥後益城郡に生まれ、木菴の法嗣となり、大蔵経の翻刻開板を終生の事業とし、ついにこれを完成し、天和2年(1682年)53歳で没しました。昭和7年(1932年)宝蔵国師の諡号を賜りました。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
瑞龍寺
かな
ずいりゅうじ
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
昭和20年(1945年)の大阪大空襲で焼失、戦後に再建されています。
住所
大阪府大阪市浪速区元町1-10
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電元町二丁目下車、難波元町二丁目にある。元藥師寺と呼ばれた寺で、寬文年閒鐵眼(道光)和尙を請じて住持とし、延寶四年今の寺號に改めた。俗に鐵眼寺と稱する。境內廣く、諸堂竝び建ち、規模宇治萬福寺に次ぐと云ふ。隱元、木菴高泉、鐵眼等の額及び柱聯等が諸堂に懸つて居る。境內に鐵眼和尙墓碑あり、開山和尙荼毘所と題し覆堂內にある。鐵眼は寬永七年肥後益城郡に生れ、木菴の法嗣となり、大藏經の飜刻開板を畢生の事業となし、遂にこれを完成し、天和二年歲五十三で歿した。昭和七年寶藏國師の諡號を賜はつた。

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