竹本義太夫の墓

竹本義太夫墓
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電西門前下車、大道一丁目超願寺境内にあります。義太夫は江戸時代前期の慶安4年(1651年)天王寺村に生まれ、新派の浄瑠璃節である義太夫節を創案し、道頓堀の竹本座で人形芝居を始め、名声近松の文名と並び称せられましたが、江戸時代中期の正徳4年(1714年)64歳をもって没しました。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
竹本義太夫の墓
かな
たけもとぎだゆうのはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府大阪市天王寺区大道1-14-1 超願寺内
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電西門前下車、大道一丁目超願寺境內にある。義太夫は慶安四年天王寺村に生れ、新派の淨瑠璃節たる義太夫節を創案し、道頓堀の竹本座に人形芝居を始め、名聲近松の文名と竝び稱せられたが、正德四年六十四歲を以て歿した。

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