大菩薩嶺

大菩薩嶺(二、〇五七米)
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

2,057m。初鹿野、塩山両駅の北にそびえ、山頂の北側は奥多摩の水源の谷を隔てて秩父山塊の東部をなす雲取山、大洞山、牛王院山、笠取山などと相対しています。嶺の北面の泉水谷、小室川谷などは奥多摩の上流となって、東京市水道の水源の一部をなしています。

奥多摩の谷に沿って青梅から甲府へ通ずる青梅街道は、大菩薩嶺の北から西の裾を迂廻しています。この街道の開通する以前は、甲州と西多摩との交通は、この大菩薩嶺のやや東南の山腹を越して往来していました。すなわち大菩薩峠はそれです。

大菩薩峠の名は中里介山氏の大菩薩峠の名著により、近年著しく人口に膾炙されて登山者が多く、三ツ峠山などとともに山岳の展望地として、優れた人気のある山のひとつです。

登路にはおおよそ4つあります。そのひとつは青梅鉄道終点御岳から水川まで自動車により、氷川から青梅街道を西へ奥多摩の渓谷美を賞して小菅村川久保を経て登ります。この道は御岳から約41kmで途中一泊を要しますが奥多摩渓谷を探る面白さがあります。2つめは猿橋駅から登る道で、徒歩約32km、この登路はあまり一般的ではありません。3つめは初鹿野駅から日川の渓流にある嵯峨塩鉱泉を経て登ります。この登路は初鹿野から嵯峨塩鉱泉まで約10km、嵯峨塩から大菩薩嶺まで約11kmです。4つめは塩山駅からの登路で距離が最も近く、多数の登山者はここから登って初鹿野または奥多摩へのコースを選びます。

塩山駅から大菩薩嶺頂上までは約15km、途中小田原橋まで4kmは自動車が行きます。橋から雲峯寺までさらに4km、駄馬も行くが大抵徒歩によります。この登路は青梅街道を東北に進みますが、道幅も広くダラダラな登りで、沿道一帯に花崗石材が盛んに採取され、県営の採取場もあり、いつも石鎚の音が響き渡っています。雲峯寺は史蹟に知られたところ、ここから青梅街道を右へ分れて小径となります。石材運搬の木馬道に沿って少し登ると木馬道は尽き、千石地蔵のところで小沢を渡り、右手の沢合を山裾をからみながら尾根に登ると小さな蛇行を幾回となく続けて嶺の東南の鞍部に向かいます。この登りは急になり、ブナ、ナラなどの森林帯にシラカバが見え出すと間もなく砥山峠に出ます。雲峯寺から約4kmでおおよそ2時間。峠には山彦会の建設になる山小屋があり、食料寝具を持参すれば宿泊もできます。峠からの眺望はかなりひらけて秩父連峯、八ヶ岳、南アルプスなどが望まれます。小屋から少し登れば富士山が南に姿を現します。1kmばかり登るとシラカバや雑木の林も尽きて草地の丸い山頂が間近に迫ります。道は右峠行、左嶺行に分かれます。嶺まで約2km、左へ草地の尾根が三段に重なっています。西側の斜面はツガ、モミなどの黒木立ですが、東南は短かい笹と茅の美しい斜面で、冬は小屋を根拠地として良いスキー場になる。大菩薩嶺の頂は西北端が最高で三角点がありますが、森林が密で眺望ができません。嶺は東西に伸びて東への峰伝いに歩けば、北側は森林で奥多摩の谷は眺めは良くありませんが、雲取から秩父の連峯は間近に眺められます。南面は開けて日川の谷へ裾合の尾根が見え、その先に笹子、三ツ峠などを隔てて富士山が高くそびえ、西南には赤石岳から塩見岳、白峯三山など南アルプスの全山が良く眺められます。西には八ヶ岳がやや近く、金峯から国師、甲武信など奥秩父の諸山が間近に望まれます。東南には丹沢、箱根の山々から伊豆方面まで眼界に入ります。

三角点から約800m東へ尾根伝いに行くと、東端は妙見の峰でその南面へ下ると賽ノ河原があります。なお火防線に沿って東南へ約700m下ると大菩薩峠です。峠から東北へ下ると約13kmで小菅村に出て奥多摩渓谷に通じます。さらに南へ石マラ峠を越すと12kmで小金沢へ出て、猿橋駅へは32kmです。峠から大菩薩嶺南面の山腹を西へからみ約3kmで砥山峠の小屋へ戻ることができます。小屋から砥山、源次郎山へ南走する尾根を約8km行き、日川谷へ下れば嵯峨塩鉱泉に出られます。この道はほとんど尾根筋を平に行く道で、常に東面を歩めば良いです。途中小径が幾つもあるので迷うこともあります。常に中間を通って温泉上から急に日川の谷へ下ります。嵯峨塩から日川の谷沿いに天目山に出て初鹿野までは約10kmで、この山路は旅人の心を満足させます。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
大菩薩嶺
かな
だいぼさつれい
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
山梨県甲州市、北都留郡丹波山村
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

初鹿野、鹽山兩驛の北方に聳え、山頂の北側は奧多摩の水源の谷を隔てゝ秩父山塊の東部をなす雲取山、大洞山、牛王院山、笠取山などと相對して居る。嶺の北面の泉水谷、小室川谷などは奧多摩の上流となつて、東京市水道の水源の一部をなして居る。

奧多摩の谷に沿うて靑梅から甲府へ通ずる靑梅街道は、大菩薩嶺の北から西の裾を迂廻して居る。この街道の通じない以前は、甲州と西多摩との交通は、この大菩薩嶺のやゝ東南の山腹を越して往來したのである。卽ち大菩薩峠はそれである。

大菩薩峠の名は中里介山氏の大菩薩峠の名著に依り、近年著しく人口に膾炙せられて登山者が多く、三ツ峠山などと共に山嶽の展望地として、優れた興味ある山の一つである。

登路には凡そ四つある。その一は靑梅鐵道終點御嶽から水川まで自動車に依り、氷川から靑梅街道を西へ奧多摩の溪谷美を賞して小菅村川久保を經て登る。この道は御嶽から約四一粁で途中一泊を要するが奧多摩溪谷を探る興味がある。二は猿橋驛から登る、步約三二粁、この登路は餘り一般的ではない。三は初鹿野驛から日川の溪流にある嵯峨鹽鑛泉を經て登る。この登路は初鹿野から嵯峨鹽鑛泉まで約一〇粁、嵯峨鹽から大菩薩嶺まで約一一粁である。四は鹽山驛からの登路で距離が最も近く、多數の登山者はこゝから登つて初鹿野または奧多摩へのコースを選ぶ。

鹽山驛から大菩薩嶺頂上までは約一五粁、途中小田原橋まで四粁は自動車が行く。橋から雲峯寺まで尙四粁、駄馬も行くが大抵徒步に依る。この登路は靑梅街道を東北に進むが、道幅も廣くダラダラな登りで、沿道一帶に花崗石材が盛に採取せられ、縣營の採取場もあり、四時石鎚の音が響き渡つて居る。雲峯寺は史蹟に知られた處、こゝから靑梅街道を右へ分れて小徑となる。石材運搬の木馬道に沿うて少し登ると木馬道は盡き、千石地藏の處で小澤を渡り、右手の澤合を山裾をからみ乍ら尾根に登ると小さな蛇行を幾回となく續けて嶺の東南の鞍部に向ふ。この登りは急になり、ぶな、楢などの森林帶に白樺が見え出すと閒もなく砥山峠に出る。雲峯寺から約四粁で凡そ二時閒。峠には山彥會の建設になる山小屋があり、食料寢具を持參すれば宿泊も出來る。峠からの眺望は可成りひらけて秩父連峯、八ケ嶽、南アルプスなどが望まれる。小屋から少しく登れば富士山が南に姿を現す。一粁許り登ると白樺や雜木の林も盡きて草地の圓い山頂が閒近に迫る。道は右峠行、左嶺行に分れる。嶺まで約二粁、左へ草地の尾根が三段に重なつて居る。西側の斜面は栂、樅などの黑木立であるが、東南は短かい笹と茅の美しい斜面で、冬は小屋を根據地として良いスキー場になる。大菩薩嶺の頂は西北端が最高で三角點があるが、森林が密で眺望が出來ない。嶺は東西に伸びて東への峯傳いに步めば、北側は森林で奧多摩の谷は眺め惡いが、雲取から秩父の連峯は閒近に眺められる。南面は展けて日川の谷へ裾合の尾根が見え、その先に笹子、三ツ峠などを隔てゝ富士山が高く聳え、西南には赤石嶽から鹽見嶽、白峯三山など南アルプスの全山が良く眺められる。西には八ケ嶽がやゝ近く、金峯から國師、甲武信など奧秩父の諸山が閒近に望まれる。東南には丹澤、箱根の山々から伊豆方面まで眼界に入る。

三角點から約八〇〇米東へ尾根傳ひに行くと、東端は妙見の峯でその南面へ下ると賽ノ河原がある。尙火防線に沿うて東南へ約七〇〇米下ると大菩薩峠である。峠から東北へ下ると約一三粁で小菅村に出て奧多摩溪谷に通ずる、尙南へ石マラ峠を越すと一二粁で小金澤へ出て、猿橋驛へは三二粁である。峠から大菩薩嶺南面の山腹を西へからみ約三粁で砥山峠の小屋へ戾られる。小屋から砥山、源次郞山へ南走する尾根を約八粁行き、日川谷へ下れば嵯峨鹽鑛泉に出られる。この道は殆ど尾根筋を平に行く、常に東面を步めば良い。途中小徑が幾つもあるので迷ふこともある。常に中閒を通つて溫泉上から急に日川の谷へ下る。嵯峨鹽から日川の谷沿ひに天目山に出て初鹿野までは約一〇粁で、この山路は旅人の心を滿足させる。

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