正伝寺

正傳寺[臨濟宗南禪寺派]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電植物園下車、西北へ1km、西賀茂にあります。はじめ鎌倉時代の文永年間(1264~1275年)宋の兀庵普寧禅師が勅を奉じ今出川のあたりに創建したものと伝え、後の弘安年中(1278~1288年)東巌宏覚禅師によって今の地に移されました。禅師がここで元寇を祈攘したことは国史上の有名な事蹟です。その後室町時代の文明年間(1469~1487年)兵火にかかり、現在の本堂は桃山時代にできたものです。

本堂[国宝] 伏見桃山城の遺構で桁行三間、梁間四間、単層入母屋杮葺の建築で、桃山時代書院造の形式を備えています。内部は中央左右の三区に分かれ、中央には仏間があります。各室仕切の襖には淡い金地に水墨をもって中国の風景を描いています。筆致構図ともに雄大で筆者を狩野山楽と伝えています。

  • 宝物
  • 兀庵和尚像[国宝] 二幅 絹本著色、うち一幅は京都博物館出陳。
  • 慧安東厳蒙古降伏祈祷文[国宝] 一幅 紙本墨書、文永7年(1270年)5月26日。京都博物館出陳。
  • 慧安東厳謚号勅書[国宝] 一幅 紙本墨書、応永20年(1413年)3月23日。京都博物館出陳
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
正伝寺
かな
しょうでんじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町72
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電植物園下車、西北へ一粁西賀茂にあり。當寺は、はじめ文永年閒宋の兀庵普寧禪師が敕を奉じ今出川の邊に創建したものと傳へ、後弘安年中東巖宏覺禪師によつて今の地に移された。禪師がこゝで元寇を祈攘したことは國史上著名な事蹟である。その後文明年閒兵燹にかゝり、今の本堂は桃山時代に出來たものである。

本堂[國寶] 伏見桃山城の遺構で桁行三閒、梁閒四閒、單層入母屋杮葺の建築で、桃山時代書院造の形式を備へて居る。內部は中央左右の三區に別かれ、中央には佛閒があり。各室仕切の襖には淡い金地に水墨を以て支那の風景を描いて居る。筆致構圖ともに雄大にして筆者を狩野山樂と傳へて居る。

  • 寶物
  • 兀庵和尙像[國寶] 二幅 絹本著色、內一幅は京都博物館出陳。
  • 慧安東嚴蒙古降伏祈祷文[國寶] 一幅 紙本墨書、文永七年五月二十六日。京都博物館出陳。
  • 慧安東嚴謚號敕書[國寶] 一幅 紙本墨書、應永二十年三月二十三日。京都博物館出陳

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